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『給食のおかずについて』調査

カテゴリ:「食」調査!!!
時期給食の献立が食べられるお店が話題になったことがありましたが、大人になった今だからこそ、もう一度給食を食べたいと思っている人は結構多いんじゃないでしょうか?ソフト麺やあげパンやカレーや焼きソバ、冷凍みかん…定番の人気メニューのほかにも、地方によって独特のおかずがあったりしたら面白いなあと思って依頼しました。皆さんの好きだったおかず、思いいれのあるおかず、珍しいおかずなんかを知りたいです。よろしくお願いします。特にくじら(の竜田揚げ)って食べたことがある人とない人が分かれるので気になります。(東京都出身 プリッツさん)
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全国調査の結果は?

幼き頃、級友たちと机を並べながら食べた給食。 給食当番の時、好きなあの子にだけおかずを多めによそったりした、甘酸っぱい思い出をお持ちの方もいるんじゃないでしょうか。
人気のソフト麺やあげパン、いまいち不人気な脱脂粉乳、そして意外や意外、クジラは美味しいという報告が多数集まりました。
読んでいると、あの懐かしき給食の日々が蘇ってついつい食べたくなってしまうこと請け合いです!

こんなメールをいただきました!
◆クジラの本拠地は関西?

給食の文字を見て先ず頭に浮かんだのが、鯨の竜田揚げです。
カリカリしていて、美味しかったな〜!!大阪出身の40代なら、馴染みがあるはず!
鯨は関西じゃ結構メジャーで、おでんに鯨の皮(コロ)が入っているのが、我家の定番でした。
東京出身の主人は、ナニソレ?です。
逆に、揚げパンを食べた記憶がありません。うちの小学校だけかな?
黒パンやぶどうパンがよくでていました。
コッペパンにやきそばをはさんで、よく食べました。 特別メニューででた、白玉汁粉も美味しかったな。
冬場は、ストーブのところで食パンを焼いたりもしましたよ。
4つ下の弟の代には、米飯給食もあったみたいだけど、私のときはカレーにパンでした。
(ゆうたんさん)

◆全校生徒分の実がなっていたんでしょうか

給食大好きでした〜大学で教員免許を取る時、小中高どれ取ろうと考え、給食がある!ってだけで小学校の教員免許を取ろうとしてました。挫折したけどね☆……。
小学校の給食で、学校に生えてるびわが時期になると出てきました。
給食を食べた後、実が全部無くなったびわの木を見て「ご馳走様でした…」とお礼をしましたよ。
(ダーリンさん)

◆栄養価は高いらしいですが、味は…?

昭和26年東京生まれのmixi名まあキュウリ(雌しべ)です。
給食で好きだったのは、クジラの立田揚げと揚げパンとココア味の脱脂粉乳でした。
ココア味でない時なんぞは、みーんな鼻つまんで飲むか、飲めない場合は体罰がありました。(;;)
(まあキュウリさん)

◆クジラってこんなに色々食べ方があったんですね

大阪と神戸の間、甲子園の近くでした。現在40代前半なので、給食だった小中学校は昭和40年代後半〜50年代前半(主に1970年代)でした。

まず、くじらですが食べましたよ。3種類あって、
1.くじらのノルウェー風
→小2ぐらいでなくなった。トマト味の煮込み(ただし汁気はほとんどない)で、いろどりを兼ねたグリーンピースが入っていました。くじらの献立の中では、一番美味しかったです。
2.くじらの竜田揚げ
→その通り竜田揚げです。これは小3か小4の頃まででした。
3.くじらの大和煮
→複雑な味でした。こげ茶色だったのが印象的。残念ながら、味はこれが一番下。最も遅くまで、確か小4ぐらいまでありました。

この年代は、後半からご飯給食が本格的に始まり、私の場合は小5ぐらいから始まりました。
とはいえ、献立はカレーライスぐらいしかなかったように記憶しています。
好きだったのは、マカロニシチュー、カレーシチュー、かき玉汁、スパゲティなど。
嫌いだったのは、単にシイタケが嫌いなので、それが入ったもの(八宝菜など)。
また、関西らしく「きつねうどん」もありました。これも人気でしたね。

そうそう、トンカツも時々出ましたが、ソースがおもしろかったです。
ビン入りの業務用ウスターソース(「ワシソース」という名だった)で、フタに穴が2つ空いていて、ここから注いだのですが、食事中に順番に回していたので、なかなか回って来ない時はトンカツ以外を食べてしまい、ソース待ち(笑)になったりもしました。
また、時にはソースが途中でなくなってしまい、隣のクラスに「余ってたらちょうだい」ともらいに行くこともありました。
パンも種類がいろいろで、フランスパン(いわゆるプチパン)とかも出ましたし、コッペパンの上にカスタードクリームらしきものを乗せて焼いた「ラインパン」というものもありました。
デザートや小品もいろいろでした。
プリンやゼリー系はもちろん人気でしたが、チーズは不人気で、チーズ好きな私は「いらんのならくれ」とばかりに、クラスの半分ほどの分をもらって帰ってました。
(家族には好評でしたっけ)。マーガリンとかもけっこうたくさんもらって帰っていました。
先生も「どうせ捨てるんだし」と黙認でしたっけ。

そうそう、全国的に「給食といえばコレ」だった「ソフト麺」と「ミルメーク」は一度も出ませんでした。
市の方針だったのかも知れません。
また、いわゆるセンター方式ではなく、各校に給食室(調理室)があり、業者が納める牛乳とパン以外は、すべて校内で調理していました。
牛乳は、市内に大手乳業の工場があったので、パックではなく、ビンでした。
(当然、0.5秒で飲み干すヤツがクラスに1人はいました)。
また、余った牛乳は冷蔵ケースに保管され、放課後に自由に飲むことができました。
体育系クラブの部員が帰りがけに1本、というのがよく見られました。

それと、食器も2種類体験しました。小4頃までは、昔懐かしいアルマイトに先割れスプーン。
小5ぐらいから合成樹脂製に代わりましたが先割れスプーンは小学卒業まで続きました。
中学では、スプーンや箸を各自持参、でした。
あと配膳方式ですが、全国的に多かった「各自が空の食器をトレイに載せて持ち、順番に並んで、給食当番が取り分ける」のではなく「各自は席についたままで、給食当番が配って回る」という方式でした。そのため「各自用のトレイ」はなく、配るためのトレイが各クラスに1〜2枚あっただけです。
校舎は小中ともに3F建てでしたが、当然ながらエレベータやリフトはなく、上階の教室のクラスの生徒は重いおかず缶や牛乳ケースを持って運んでいました。
1Fの教室でもワゴンなどはなく、手持ちで運びました。 給食当番になると、早く行って軽いものを狙ったりする一方で、体力が弱い子がいたら軽いものを譲ったり、運搬は免除(教室内での配膳のみ)にしたり等、当番どうしでの心遣いもありました。
最近は、給食セット(食器や食材)を売っているネットショップもあるようですので、これを買って懐かしい気分に浸るのもいいかも知れませんね。(マンボウさん)

◆思い出に残るあのメニュー

カレーシチューにソフト麺を入れて食べる、カレーうどん。
クリームシチュー(自宅では母さんがクリーム系統が嫌いなので食べたことがなかった)。
牛肉も多分、給食ではじめて食べた(母さんが牛肉嫌い)。
ちなみに焼肉やステーキは社会人になって初めて食べた。
牛のすき焼きは高校の修学旅行ではじめて食べた(うちに帰ってから、「うちですき焼きってやったことないよね。」といったら「何、何回もやってるよ。鳥もつで」だって。確かにあったわ。)
(匿名希望)

◆嗚呼、メキシコの日

名古屋市には姉妹友好都市を記念する献立があります。
毎年違うのですが、例えば南京市の日には青椒肉絲、ロサンゼルス市の日にはホットドッグ、そして忘れもしないメキシコの日のタコス。
本式に忠実にもろこし粉100%で作った皮だそうですが、蒸して(焼いて?)真空パックされた白くふにゃふにゃのそれを常温でむさぼる苦しさを想像していただけるでしょうか。
できないと思います。具もなにかソーセージととうもろこしのケチャップ和えのような、えも言われぬ不思議なものでした。初めて給食というものを食べ残しました。
メキシコの名誉のために言っておきますが、私は普通のメキシコ料理は好きです。
でもこの給食のせいでメキシコ料理を恐れる名古屋人は少なくないと思います。
ちなみに20数年後、遠いまちで出会った同世代の名古屋人とこの話題になり、お互い大人になったありがたみを噛みしめたものです。そういう効果もあったのでしょうか、メキシコの日。
ベタなところでは名古屋の日というのもあって、毎年デザートに小型のういろが出ました。
今では全国に名をはせる味噌煮込みが献立になった年もあるのですが、2-3本の麺がくっついたまま調理されていて芯があったのが印象的です。大量に作るものではないのでしょう。
くじらは給食には出ませんでしたが、小さいころ母がときどき家で焼いてくれたくじらのベーコンは好きでした。ちなみに、同じ頃市場についていくと魚屋さんでよく白いフリル状の半透明なスライス(黒い縁取り付き)を見かけましたが、あれはくじらの皮なのだということを後日聞いた気がします。
気のせいかもしれません。(名古屋市在住 28歳 ☆の☆さん)

◆食糧事情でわかる日本の変化

1950年代後半以降ですが、給食と言えば、小学校後半、確かミルクしか出なかったと思いますよ。
それも、今のミルクと違い少しグレーぽい色で、飲んだとたん吐き出したくなるような感じのミルクでした。たぶん、アメリカからでももらったんでしょうか。いまでも、あまり気持ちのいいものでは、ありませんでした。
あの頃は、日本中何処でも同じだったのではないでしょうか。
弁当は、少し厚いアルミ製の物に入った日の丸弁当で、ほとんどいつもしょっぱいシャケの切り身がひとつ。本当に、あの頃の日本は、まずしかったですね。
ところで、くじらは、子供の頃よく食べました。缶詰は、うまかったですね。味付けがしてあって。

息子の弁当は、冷凍食品が多いですが、もう色とりどりでにぎやかで本当においしそうですね。
毎日同じ品物ということも無く、豊かになりましたね。
しかし、冷凍食品は、ちょっと気になりますね。全然、問題ないんでしょうか。
話は、少し、ずれてしまいますが、今は、世界中から何でも入ってきますし、中国産て安いですが、本当に安心してたべられるんでしょうか。
国内産にしても、野菜など、農家の人たちは、虫食いの安全なものを食べて、農薬を使用した立派なものは、全て売りに出してしまうというような話も良く聞きますね。
あと、昔は、量り売りしていたので無駄が出なかったと思います。
今は、ほとんどパックになっていて、余分な料理を作る事が多いのではないかと思います。
衛生的ではありますが、それに廃棄物が大量に出てしまう。
今日は、いやに書きすぎましたので、これで終わりにします。
ワールドカップの日本戦もありますので。
「給食」で追加が、あります。
ミルクの名前がなかなか思いでせなかったのですが、やっと思い出しました。
「脱脂粉乳」てやつです。ほんとに、気持ち悪くなるミルクでした。
(埼玉県在住 東北南部出身 さざなみさん)

◆所変われば給食も変わる

転校が多かったのですが、昭和52年大阪での給食で「鯨の立田揚げ」が好きでした。
甘じょっぱくてよく噛むと味がでるような…。今思えばつまみみたいでした。

54年
茨城でのお気に入りはデザートのクレープです。
パインクリームがついてきて美味しかった♪
ソフト麺も好きでした〜。うどんの汁みたいなのに少しずつ入れて食べました。

そして56年秋田では米飯給食が始まりましたが、私はパン好き…。
この頃牛乳もビンから紙パックに変わったと思います。
総合的に秋田での給食が美味しかったですね、地域色ってあると思います。
ミルメーク(珈琲牛乳のもと)も知らない人いるもんなぁ。(keroさん)

◆さらば、クジラ

くじら出てましたよ〜小学校の途中くらいで、禁止になった気がします。
そして、牛乳は三角パックから始まり、四角パックに途中で変わりました。
ソフトめんは好きでしたね〜(神奈川県相模原市在住 30代 匿名希望)

◆求む!大人のための給食レストラン

わたしの小学時代の給食で一番思い出に残っているのは、やっぱりくじらの竜田揚げです。
でも、もう1つのくじらを使った料理は不味かった記憶があります。
そして、なんといっても一番好きな物はずばり、きなこパンです。
もしそういう給食レストランが近くにあればいつか是非行ってみたいと思います。
ちなみに私の家の前には小学校があるので昼時には給食場から匂いがくる時があります。
(虹崎さん)

◆今では貴重です、クジラさん

ソフト麺にミートソースと粉チーズをかけて食べるのが大好きでした。
鯨肉は佃煮みたいな感じで出ていました。肉が堅くてそんなに特別好きってわけではなかったけれど、今思えば貴重な経験したな〜って思います。竜田揚げってどんなのか気になります。
あと、小さな紙コップのような容器に苺ジャムの水っぽいようなのを入れ、牛乳を加えて混ぜて食べるデザートもお気に入りでした。
今思えばフルーチェですね。あの頃はそれを作るプロセスも楽しかった。
部活帰りに給食で残したパンがものすごく美味しかったのも良き思い出です。
給食、久々に食べてみたいなぁ…。(匿名希望)

◆世相を反映したメニュー「たけちゃんマンライス」

金沢市のみそじ、ななほしより給食についてご報告します。
まず、給食で鯨の竜田揚げは食べたことがあります。
肉の味が濃く、さらにピーナツあんからめでとっても美味しかった記憶があります。
ニガテなおかずは、正月(冬休み明け)に出たえびす(別名ベロベロ^^;)ですねー。
甘くしたしょうゆベースの寒天ゼリーで、ここにさらにおぼろ状のかき玉が入っているという、金沢のお祝い事に大手をふって登場する郷土料理なのですが、これが好きじゃなかったのは私だけではなかったですねー。
最後に、思い出の給食メニューは、炊き込みご飯のその名も「たけちゃんマンライス」!
おかずではないかもしれませんが…。
水の代わりに牛乳を使って炊いたお米に、具はアサリやミックスベジタブルみたいなものが入っていたような…(味付けはブイヨンぽい洋風ダシ系だったかな)。
私は好きでしたが、味に賛否両論あったメニューでしたねー。
当時の栄養士さんが栄養を強化したメニューを作ろう!とした結果のようで、これを食べて(当時の子供たちに人気だった)ひょうきん族のたけちゃんマンのように元気な子になろう!
みたいなコンセプトがあった…ような記憶があります。
それにしても子供(の頃)の記憶力ってすごいですよね。
今では昨日のおかずを思い出すのもやっとですが(笑)。
それでは、今後も楽しいウィふりを楽しみにしております。(金沢市在住 ななほしさん)

◆中国には給食がないんでしょうか?

給食と言えば嫌いなたべものオンパレードでしたが、当時嫌いだったレバーが給食でだされたものだけ食べられたというのもありました。
レバーのケチャップあえだったと思うのですが、ケチャップ風味のカラっとしたレバーの揚げ物で、ケチャップソースは揚げる前に和えてあり、レバーの臭みもなく、非常に食べやすかったです。
あれを家で母に作ってもらおうとレシピをもらっておねだりしましたが、給食と同じ味にならなくてがっかりした覚えがあります。
浅草の給食当番に前の職場の中国人上司を連れて行ったことがありますが、「日本のこどもって大変だね…」と憐憫のまなざしで見られたことが衝撃的でした。(エイミーさん)

◆懐かしき、給食の日々よ永遠なれ

出身は群馬県渋川市、小学校4年生より前橋市に。現在50歳。当時の思い出。
まず、小学校の給食はパン以外はありませんでした。
カレーうどんや焼きそばは出ていました。鯨の竜田揚げは大好物でした。
中には嫌いなクラスメートも居たので、余りを当時ですからちり紙に包んでポケットに入れて放課後に食べていました。
もちろん竜田揚げの周りはちり紙だらけ。でも、ちっとも気になりませんでした。
大きなアルミのポットで、脱脂粉乳を注いでまわりました。
美味しくは無かったけど、それが当たり前だと思っていたから、別に苦にもなりませんでした。
当然、お変わりもしていました。
いわゆる牛乳になったのは、多分小学校の6年生くらいだったと思います。
とにかく、給食は楽しみでした。
今みたいに献立表が在ったかどうかは全く記憶に有りません。
余り好きでは無かったものは、春雨のサラダいな物だったと記憶しています。
給食を残す子供も、殆ど居なかったのではないでしょうか?
中学校は地元のでは無く国立の中学校だったので,3年間弁当でした。
今は懐かしい思い出です。あの頃に戻ってみたいと思う今日この頃です。
(群馬県在住 matsunokoさん)
まとめ

いかがでしたか?思わず懐かしいあの日々が蘇ってきたのでなないでしょうか。
ちなみに私が好きだったのはなんといってもカレーライス!
我が家のカレーも良かったが、給食で食べた味はまた格別でした。
仲良しの友人たちと一緒にワイワイ騒ぎながら食べたから、より一層美味しかったのかもしれません。
かつて子供だった大人たちのための給食レストランがあったら、私も是非常連になりたいものです!

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