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若者は有用だが通常は安価であり、老人はさほど有用とはいえないが非常に高価である。

2010/03/04 23:32


「価値のパラドックス」・・「水は有用だが通常は安価であり、宝石はさほど有用とはいえないが非常に高価である。」を考えてみた。[チリ地震]が、「カネはあるが、食料がない。断水で飲料水もない」という住民を略奪行為に走らせたように、通常ではない事態が発生したした時、価値観は転覆してしまう。
「不良○○を考える。」で、僕は○○に入れる言葉に苦慮してしまった。商品(Commodity)というより価値(Value)なのだが、使用価値か、交換価値か、という問題とは異なると思うからなのだ。
『「TOYOTA・トヨタ」から「豊田」へ考え方を変えよう!』は、現実は逆であって、無理に「豊田」に戻ろうとすれば、高度資本主義化したグローバルな現実を、根本から覆す必要にことになりかねない。「食糧は有用だが通常は安価であり、農地はさほど有用とはいえないが非常に高価である。」という価値観を覆さなければならず、食糧自給率を向上させようとは建前であって本音とは思えない。本音で食糧自給率を上げるとしたら、全農・農中・農水省の出先機関は廃止して、農家出身の公務員や農協職員は農家に戻り、社会福祉型集落営農をモデル事業として立ち上げているだろう。
考え方だけでは何も変らない。食料を自らの手で作れなくなっては、国家・社会の成立などはないのである。世界の技術の最先端を行っていても、食べることができなければ生きていけないのだ。「カネ」などという概念は、その意味では浅はかなものである。大切なのは、自らの食料を自らで確保できる社会を作り上げることである。自らの食料を自らで確保出来ない人が問題なのであって、「カネ」で動いている人は問題意識さえ持っていないだろう。こんなことを言うのかもしれない。食料を自らの手で作っていては、国家・社会の成立などはないのである。世界の技術の最先端は、食と職を支えて来た。大切なのは、このシステムを守ることであって、資本を確保できる社会を作り上げることである。どちらも、現実なのかもしれないが、考え方を変えたところで何も変らない。
有用なはずの農地は、その価値観から、工場や住宅に変ってしまった。有用とはいえない農地は、担保として利用され、不良化して荒廃した。食料を自らの手で作ることにメリットを感じなくなった農家は、農地を手放す。食べることが出来ても、生きていけない現実をしらない俄か農家が増えて、自らの食糧を自らで確保しても、豊かにはならないと思う。優良農地の争奪合戦になるだけだ。米の逆ザヤ政策を守って来た農協と農水省の負債を考えたら、農業関連への雇用確保は難しい。「豊田」という農機具メーカーが生まれる程度なら何の影響もないだろうが、自給自足の農業などありえないと考えて欲しい。『「カネ」に左右される政治では当然ダメなのである。』とあるが、今の日本に「カネ」に左右されない人間がいるのだろうか?
価値観は変化する・・・と思うが、「通常ではない事態」とトップが感じなければ変らないシステムが稼働し続ける。逆に、通常のシステムに「通常ではない事態」が起きても津波より恐ろしい 気象庁「狼少年」状態のような反応さえある。「チリ大地震による津波の予測が過大だった、として気象庁が謝罪した。」というが、「津波警報が真ん中に テレビ画面表示に不満続出」であり、『列島津波パニックのオソマツ 危機管理役人は「オオカミ少年」』のようにパニックと言うのは、「通常ではない事態」をトップに責任転嫁出来る余裕があるからであり、本当に「通常ではない事態」を想定していないと思う。
「カネはあるが、食料がない。断水で飲料水もない」という価値観まで変ってしまった被災住民の行動は、「価値のパラドックス」を覆す津波になるのだろうか?おそらく、一時的に「水は有用だが通常は安価であり、宝石はさほど有用とはいえないが非常に高価である。」という価値観を失っただと思いたい。日本の場合、マスコミの防波堤は高過ぎたと思う。これは、気象庁が謝罪が謝罪する問題ではないと思う。問題は、マスコミが何を一番に考えるかという意思表示が無かったことだと思う。通常の番組が通常に放送されない理由は、誰でもわかる表示なのに、後日再放送とか特別番組を編成するとかすることをせずに、誰にもわからない不安を駆り立てたことも確かだと思った。価値観の変化に気が付いて、後のまつりをしているのはマスコミの方だと思う。本当に「通常ではない事態」だったら、どう対応したのだろうか?
適当な例だとは思わないが、首都圏など大雪警報や大雪注意報が20cmの積雪で出されることを大げさだと思う人もいるだろう。10cm程度の雪は当たり前の地方に住んでいれば、5cmは雪降りにならない。価値観は環境によって変って当たり前だと思いたい。現実のとらえ方も人それぞれなのだが、「通常ではない事態」を通常に戻そうとする力は良くも悪くも働いてしまう。首都圏の主張が当たり前で、多数決の原理から言っても、地方の主張はどこか間違っているような劣等感を感じてしまう。
話がそれてしまった・・・「JA・・・L」で書いた農協のシステムの複雑さと「補足??」で取り上げた「損益計算書」なのだけれど、個々の農家は「売上原価 ?」の一部でしかない。売上高を考えた時、農協などの複雑なシステムの中で製品化した農産物を出荷する外注費程度の「製造原価」の一部なのかもしれない。「販売費及び一般管理費?」を持たないシステムは、農業用の確定申告書にも現れている。農業の法人化が進まない理由として、農協や市場、地方自治体の支配体制を考えなければならないと思う。「カネ」に左右されない農業は、システムの改革無くして行えない。企業が農業に参入する場合も同じことだ。キャッシュ・フローなど農家には無縁なのだが、その無縁に左右されているのが農家だ。
タイトルの「若者は有用だが通常は安価であり、老人はさほど有用とはいえないが非常に高価である」とは、働き手は安価であり、管理職は高価だと考えてみたのだが、個々の農家という一点を見ていたのでは成り立たない。経営者でありながら、働き手である農家を考えると、自由で豊かな環境を考えると思う。しかし、農業の置かれている環境は資本主義のシステムの中では決して豊かではない。有用な働き手は後継者不足で、有用でない高齢者は働けない状態・・・しかも、逆ピラミッドの人口構成で、お金のかかる高齢者が増えて行く。「通常ではない事態」なのだが、システムは通常に動いているようにしか見えないのだろう。支配体制は、補助金と言う飴を投げて、増産計画や大規模化、そして食糧自給率などという鞭を鳴らし続けている。自らの食料を自らで確保などという状態ではないのだ。
社会のロマン 政治のフマンで最後の方に書いた内容・・・サラリーマンは会社や組織という傘下にある。公務員は国や地方という傘の下にいられる。傘があるということは、その傘の上に立たないことには傘を持つ「トップ」に立てないということだと思う。経営者や芸術家は、その傘が小さくとも、傘の下に自分以外誰もいなくとも、傘を持たなければならない。そして、大きな傘を差しかけられても、自分の傘は持ち続けるのが本来の姿だと思う。傘を持とうとしない人が多い世の中だからこそ、小さな傘でも持ち続けて欲しかったと思う。津波は傘では避けられない。巨大な防波堤も程度に因っては避けられない。「通常ではない事態」に逃げるしか手立ては無い。しかし、「通常ではない事態」が毎日続くはずは無い。しかし、価値観が転覆したら「通常ではない事態」は避けられないのではないかと思う。


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