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遠野の噂話としてのリアリティー 2

2012/08/28 18:59

『遠野物語』を昔話的民俗伝承としてではなく、同時代の噂話として読むということを考えたわけだが、それはたとえば、



五五 川には川童(かっぱ)多く住めり。猿ヶ石川殊に多し。松崎村の川端の家にて、二代まで続けて川童の子を孕みたる者あり。生れし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。其形極めて醜怪なるものなりき。女の壻(むこ)の里は新張村の何某とて、これも川端の家なり。其主人人に其始終を語れり。かの家のもの一同ある日畠に行きて夕方に帰らんとするに、女川の汀に踞りてにこにこと笑ひてあり。次の日は昼の休みに亦此事あり。斯くすること日を重ねたりしに、次第に某女の所へ村の何某と云ふ者夜々通ふと云ふ噂立ちたり。始めには壻が浜の方へ駄賃附に行きたる留守をのみ窺いたりしが、後には壻と寝たる夜さへ来るやうになれり。川童なるべしと云ふ評判段々高くなりたれば、一族の者集まりて之を守れども何の甲斐も無く、壻の母も行きて娘の側に寝たりしに、深夜にその娘の笑ふ声を聞きて、さては来てありと知りながら身動きもかなはず、人々如何にともすべきやうなかりき。其産は極めて難産なりしが、或者の言ふには、馬槽に水をたたへ其中にて産まば安く産まるべしとのことにて、之を試みたれば果して其通りなりき。その子は手に水掻あり。此娘の母も亦曽て川童の子を産みしことありと云ふ。二代や三代の因縁には非ずと言ふ者もあり。此家も如法の豪家にて〇〇〇〇〇と云ふ士族なり。村会議員をしたることもあり。

五六 上郷村の何某の家にても川童らしき物の子を産みたることあり。確かなる証とては無けれど、身内真赤にして口大きく、まことにいやな子なりき。忌はしければ棄てんとて之を携へて道ちがへに持ち行き、そこに置きて一間ばかりも離れたりしが、ふと思ひ直し、惜しきものなり、売りて見せ物にせば金になるべきにとて立帰りたるに、早取り隠されて見えざりきと云ふ。



…のようなエピソードが持つリアリティーの問題である。


語られているのは、どこかのアノニムな昔話ではなく、家系が具体的に指定された上での現在に接続する噂話なのである。採録に際しては何某とされているが、遠野で語られていた時点では、それがどこの誰の家の話であるかについては、語る者にも聞く者にも共有されていたはずである。


ある個人(何某)が、どこのどの家で生まれた者であるかが情報として相互に保有されている世界での、人々の共有情報としての「噂話」なのである。

それが二代前三代前の話であれ、詰まるところは現在を生きる何某の来歴に関する情報として機能していたわけであり、そのような情報の集積が『遠野物語』として、私たちの前に遺されているということになる。



今回の川童の出産と遺棄をめぐるエピソードの場合、当事者の意識の中では「川童」は想像上の生き物などではなく、自然を構成している存在の一員なのであり、であるからこそ遠野の人々の間でリアリティーをもって語られ、聞き取られていたのである。

我々はそれを、あくまでもリアルな噂話として読み取らねばならないはずなのだ。








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