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アイヒマンの姿

2013/12/20 00:55

ラウル・ヒルバーグの自伝的内容の著書、『記憶 ホロコーストの真実を求めて』(柏書房 1998)を再読した。

このところ、ヨッヘン・フォン・ラング編『アイヒマン調書 イスラエル警察尋問録音記録』(岩波書店 2009)を読んだり(抄訳としては1972年の番町書房版の『アイヒマンの告白』で読んでいたが)、ロニー・ブローマン/アイエル・シヴァン『不服従を讃えて―「スペシャリスト」アイヒマンと現代』(産業図書株式会社 2000)を再読したりしている。



アイヒマンはその職務遂行において実に有能な人物であり、その非凡さを疑うことは難しい。しかし、その有能さ非凡さはあくまでも組織人としてのそれであり、カリスマ的要素のない(誰に対しても個人としての傑出した魅力を感じさせない)人物でもある。

しかし、彼の組織人としての(官僚としての)傑出した能力を抜きにしては、あのような規模での「ヨーロッパユダヤ人の絶滅」が現実化することはなかった。

ヒルバーグが緻密な検証作業経て明らかにしたのは、そのような意味でのアイヒマンの傑出した有能さであった。アーレントの視点からは、そのような有能さ非凡さは見えにくい。


同時に、アイヒマンの効率的な職務遂行を側面から支えたのは「ユダヤ人評議会」であり、つまり「ヨーロッパユダヤ人の絶滅」過程がユダヤ人自身の(自治的な側面のある)組織により支えられていたのだということ。ヒルバーグは、その事実を早い時期から指摘した人物として、自身に加えてアーレントとベテルハイムの名を挙げている。






個人的には、アイヒマンに共感を覚える部分はある。思いつきで次々と命令を発する身勝手な上司、無能な同僚に部下、非協力的な他の部署に囲まれながら、職務を遂行することに情熱を傾け、次々と合理的・効率的に実現していくアイヒマンの姿。

しかし、その傑出した能力が、合理的・効率的な大量殺害計画の実現に不可欠なものとして機能したのも歴史的事実なのであり、実になんとも厄介な話である。



アイヒマンは、ユダヤ人移送の効率的組織化に貢献し、大量殺害の実行のお膳立てをしたわけだが、アイヒマンの貢献を効率的輸送の実現という問題として捉えれば、それはまさに「兵站」の問題である。

近代総力戦の遂行においては必須の事項であるし、経済においても効率的な流通体制の構築は必須の課題である。

その意味で、アイヒマンの貢献は、システムとしての近代社会を前提にしたものであり、大量殺害の近代的システム化におけるもの、ということになる。


殺される他人のことは考えずに(殺害の実行は管轄外だから)、しかし大量殺害システムの構築と稼働に情熱を注ぐことが可能であることをアイヒマンは示したわけである。そしてアイヒマンの存在は他人事ではないのである。我々にはアイヒマンに移送されるユダヤ人となる可能性と同時に、アイヒマン自身として振る舞う可能性も存在するのである。どちらが、よりおぞましい事態であるのか? 後者の場合、アイヒマンのように自身の行為に「おぞましさ」を感じずに生きていられる可能性は大きいという「おぞましさ」」がつけ加わるわけである。そしてアイヒマンは勝者の側にいる限り、誰からも裁かれることはない。











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