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大浮世絵展(江戸文化のクオリティー)

2014/03/02 21:42

昨日の予定が今日になる。江戸東京博物館の「大浮世絵展」。


日曜日でおまけに最終日という最悪のパターン。予想通り、混んでる、けど、最終日なので観るしかない。




初期肉筆画から、昭和の木版画作品まで。観に行った甲斐はあった。





(肉筆画は別として)いわゆる「浮世絵」と言えば、木版による複製芸術という括りになるわけだが、しかし、このハイクオリティーな多色刷り複製出版物が江戸庶民の消費物であったことに、あらためて驚かされたのであった。

ヨーロッパでもルネサンス以来の銅版画には、有名絵画の複製という機能があったにしても、基本的にモノクロである。江戸庶民の手にした浮世絵版画は精密な多色刷りなのだ。しかも、名画の複製なんかではなく最初から複製を前提としたオリジナル作品なのだ。


絵画芸術と複製技術の関係を考える際に、オリジナルとしての絵画作品と、印刷による複製出版物としての画集という形式を思い浮かべるわけだが、一般的に言えば(ヨーロッパの場合)、オリジナルの絵画作品に比べて複製のサイズは小さい。画集に収録された(たとえばB3サイズの)画像を、想像力の中で拡大し、オリジナルのイメージ(たとえば畳三枚分の画面)を思い浮かべるわけである。

それに対し、浮世絵版画の場合、サイズ的には大きくてもA3くらいなものである。それがオリジナルのサイズなのだ。現在の出版物としての江戸期の浮世絵版画の画集(本展の図録でもいいが)に収録されている画像のサイズとオリジナルのサイズには大きな違いがない、ということなのである。

で、今回、あらためて北斎や広重の風景版画(オリジナルもせいぜいA3サイズくらい)を観て思わされたのは、畳三枚のサイズに拡大しても十分に耐え得るであろうクオリティーの高さであった。

その高いクオリティーは、北斎や広重の、つまり絵師の画力と共に、彫師や刷師の力量がなければ実現し得ないものであるし、その背後には購買力ある消費者としての江戸庶民の存在もある。

近世日本文化、近世日本社会の到達し得ていたクオリティー(の高さ)に、あらためて驚かされるのであった。




まぁ、ネトウヨの日本自慢はバカバカしいものだが、しかし、事実として、近世日本社会・文化のクオリティーを再認識させられもしたのである。



ところで…

ネトウヨはまた、慰安婦=売春婦と言い募る連中でもあるが、江戸期の浮世絵版画には、当時の遊女の姿、遊郭の情景も多く描かれている。ネトウヨ流の理路に従えば、遊女=売春婦だし、遊郭=大型売春施設である。つまり、慰安婦を売春婦と呼ぶのならば、同じリクツで、遊女を売春婦と呼ばねばならなくなる。「遊女図」は「売春婦図」であり、「遊郭図」は「大型売春施設図」ということなのである。

私は、そういう方向性には感心しない。もちろん、慰安婦=性奴隷という話にも感心しない。

実態としては、確かに慰安婦は売春行為をさせられていたし、遊女も同様であった。その背後には極度の貧困と人身売買があり、まさに(どちらもが)性奴隷の境遇でもあった。その構図を否定しようとするような試みには、まったく同意する気はないが、しかし、「慰安婦」を(当時呼ばれていたように)「慰安婦」と呼び、「遊女」を(当時呼ばれていたように)「遊女」と呼ぶことによってこそ、「当時」の「文化・社会」を深く理解し得るのだと思う。








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最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2014/03/02 22:36
    …と、本日の行動と思考の記録。

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