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賣られる最上娘 (昭和期日本の貧困 その1)

2018/03/24 14:01

 


 近代日本を最底辺で支えた貧困層の現実がどのようなものであったのか?

 

 「残飯に命をつなぐ(明治期日本の貧困)」では、松原岩五郎の『最暗黒の東京』(1893)を通して、明治20年代半ばの東京のスラム街住民の姿、食料としての残飯の販売がビジネスとして成り立ち、商品として流通する残飯を食べて生き延びる明治20年代の都市最貧困層の実情を明らかにした。

 「着たきり雀」の「風呂へも入らない」人々(続・明治期日本の貧困)」では、イザべラ・バードの『日本奥地紀行』(1885)に記録された、明治10年代初頭の北関東から東北にかけての農民の姿を取り上げた。

 ノミやシラミだらけの環境の中で、「着たきり雀」の「風呂へも入らない」人々が、いまだ近代医学の恩恵から遠い世界で暮らしている姿である。「着たきり雀の風呂へも入らない人々」は、当時の農村部の貧困層の姿であっただけでなく、都市最貧困層も同様であったことも松原岩五郎によって記録されていた。

 

 記事の最後では、

 

  近代日本の(国体の精華たる?)「公娼制度」は(そして昭和期の皇軍の「慰安婦」もまた)「人身売買」に支えられたものであったが、その背景には、このような最底辺の帝國臣民の貧困の現実があったことも覚えておいてよいだろう。


このような指摘を加えておいた。

 

 

 今回は、貧困層の困窮が生み出す「身売り」、すなわち人身売買の問題に焦点を合せてみたい。取り上げるのは明治期ではなく、昭和戦前期の日本の現実、近代日本の現実である。

 

 

 昭和9年から10年(1934〜1935)にかけて、日本が直面していた問題の一つが「凶作」であった。実状は以下の通りである。

 

 

  昭和九年は、日本各地に自然災害がおこり、農作物が大きな被害を受けた。九州・四国の干害、北陸・山陰の冷雪害、関西・中国の室戸台風による風水害と続いたが、冷害に見舞われた東北の被害は甚大で、明治三八年(1905)以来の大凶作となり、多くの農山村が飢餓線上をさまよった。十二月六日、衆議院は農林省提出の「凶作地に対する政府所有米穀の臨時交付に関する法律案」を可決し、政府所有米のうち五〇万石が、東北六県の町村に交付されることになった。
 
  小作料と年間収入を超えた額の借金にあえいでいた農民は、八年のように空前の豊作を記録した年ですら、稗や粟などの雑穀、楢や栃の実を常食とせざるを得ない生活を強いられていた。九年の凶作は、それら雑穀や木の実はおろか、草の根、木の皮、藁など口に入るものはすべて食糧にして飢えをしのがねばならなかった。岩手県では全農家の七七佑緊急の救済を必要とした。
  飢饉の影響は、まず子どもたちの上に現れた。欠食児童が急増し、間引きや母子心中が相次いだ。とくに大きな問題となったのは、娘の身売りだった。東北六県で、芸・娼妓、女給、女子工員などとして人身売買された娘の数は、九年一〇月までの一年間で五万人余にのぼった。新聞は連日のように救済を訴え、矯風会や救世軍が身売り防止運動を始めたが、口べらしと借金の返済に迫られた農村の厳しい現実の前では、ほとんど効果はなかった。
     (『昭和 二万日の全記録 第3巻』 講談社 1989  306ページ)

 

 

 まず、ここで押さえておかなくてはならないのは「小作料と年間収入を超えた額の借金にあえいでいた農民は、八年のように空前の豊作を記録した年ですら、稗や粟などの雑穀、楢や栃の実を常食とせざるを得ない生活を強いられていた」との記述である。豊作の年ですら、生産者であるはずの農民の口に米は入らず、稗や粟などの雑穀、楢や栃の実を常食としていたというのである。その背後にあったのが「小作料と年間収入を超えた額の借金」であった(「豊作」であろうが「貧困」が現実であった)。

 そこに「明治三八年(1905)以来の大凶作」が襲う。もたらされたのは「それら雑穀や木の実はおろか、草の根、木の皮、藁など口に入るものはすべて食糧にして飢えをしのがねばならなかった」ような深刻な「飢餓」であった。

 その「飢餓」からの脱出手段の一つが「娘の身売り」なのである。

 

  欠食児童が急増し、間引きや母子心中が相次いだ。とくに大きな問題となったのは、娘の身売りだった。東北六県で、芸・娼妓、女給、女子工員などとして人身売買された娘の数は、九年一〇月までの一年間で五万人余にのぼった。

 

 貧困層にとっては、人身売買に頼るしかなかった近代日本の現実がそこにある。

 

 

 

 以下、当時の新聞記事を読んでみたい(2015年の4月に、立川の中武デパートの古書市で手に入れた昭和9年と10年の新聞記事のスクラップブックによる)。

 

 

 



スクラップブック(昭和9年〜10年) 
     東北の凶作地を見る (9.10.22 朝日) 1

 


スクラップブック(昭和9年〜10年) 
     東北の凶作地を見る (9.10.22 朝日) 2

 

 

 (見出しの表記は原文のままとし、本文は「かなづかい」は原文通りだが、旧字体は新字体にあらため、本文中の大きな活字は太字で表記)

 

 

 

 東北の凶作地を見る
 賣られる最上娘
  哀切・新庄節
   「年期明けても歸つてくれるな」
    親達の悲痛な言葉
          山形懸新庄にて
          飯島特派員


 他郷の人の手に売られて哀切な『新庄節』に故郷の山河をしのぶ女の数は決して少なくない、山形県最上郡はその娘地獄の本場だがここは県下でも一の凶作地、ならして七割の減収、一かたまりになつてゐる三十五町歩の田が稲熱(ゐもち)病で全滅してしまつたところもある、飯米は至るところ不足で、西小国村の野頭部落では
  一人でも口を減らさうと思つてゐるのに売つた娘の年が明けて帰つて来られてはそれこそえらいことだ、何とかして娘の年期明けを延ばすことにしよう
 といふ申合わせさへやつたといふ、県ではこの凶作で一層娘の身売りが増えるだらうといふので、身売防止の方策を樹て新庄警察署が主になつて、先頃村村で「娘を売るな」と座談会をやつて歩いた
  娘一人の身代金は年期四年で五百円乃至八百円、然し周旋屋の手数料や着物代や何かを差引かれて実際親の手に渡るのは、せいぜい百五十円位だ、可愛い娘を手放しても、百五十円の金を握りたい、一つの悪風習でもあらうが、やはりそれも詮じつめると食へない苦しさからに違ひないだらう
 かうして床のない家、床があつても畳のない家々から、娘がポツリポツリ芸者に、娼妓に、あるひは酌婦に売られて姿を消してゆく、淪落の巷を流浪する最上娘の「新庄節」こそ彼女等の望郷の憶ひをこめた哀歌であると共にドン底の農村の悲しむべき生活苦を、まざまざと物語るものでなくて何だらう、然も娘を売つた親達は「凶作で米がないから、年期が明けても村の懐には帰るな」といふのだ農村の窮乏もここに至つて正視するに忍びない
     ▽……△
 娘地獄のこの地方は馬の産地で「子供の出産より馬の出産が大事だ」とまでいはれる位、馬を売るために毎年秋に馬市がたつ、記者は折よく東小国村へ行つて、この馬市を見ることが出来た
  この付近では東小国に八百頭、西小国に五百頭位の馬がゐるさうだが、三日間の馬市に百二十一頭の馬が売りに出た、みんな二歳駒の威勢のいい奴ばかり、馬買ひの博労は遠く青森、秋田岩手の方からもやつて来る、馬市をのぞいて見ると、博労達が人垣の輪を作つて、その輪の中を、農家の若衆が売り馬の口をとつて、ぐるぐる円を書いて歩く「おうい、いひ値が二十円」「一円買つた」「もう三円!」かうやつてせり上げて、相当の値だと思ふと、世話人がポンと手を叩いて売買が決まる、見てゐるうちに、四頭の馬が売れた、一年半も手塩にかけた馬が三十五円、四十六円、四十七円最後の馬はたつた十七円であつた、しかも、この中から産業組合に一割五分の手数料を出さねばならぬ
 馬が安値に売られるたびに見物の百姓達までホツと肩で息をして「話にもならない値だなあ」とガツカリしてしまふ
 馬市の表の道の奥にはづらりと露店が並んでゐる、鍋、釜、古着、雑貨、食料品何でもある、つまり馬を売つてから、ここで一年分の必要品を買ひ込むといふ習慣になつてゐるのだが、今年はそれがひどい寂れ方だといふ、西小国村では凶作のため「馬市には馬一頭につき一人以上付いて行くな」といふ決議をした。人がわいわい多勢ゆけば買物も自然多くなるから、今までのやうにゾロゾロ馬にくつついて行つてはいけないといふのである、田舎廻りのサーカスの小屋がかかつてゐて、客を呼んでゐるが、人々はただ泥絵具の看板をポカンと眺めてゐるだけで、ガマ口を開けようともしない、収穫のない田圃、その田圃の中の小さい宿場、馬のせり市、さびれた露店、サーカスの荒んだ楽隊――凶作地のうら淋しい晩秋の風景は記者の心を徒らに傷ましむるのみだ
      ▽……△
 飯米不足でどこの村々でも濡米の払下げを申請してゐるがとうとう山から栃の実を拾つて米の代用に食ひ始めた、栃の木はパリの街路樹マロニエに似た木で実は栗のやうな格好をしてゐるが苦みと渋味があるので各村役場では「苦みをとつて粉にしてそれから餅にする迄の加工法」をガリ版に刷つて戸毎に配り学校の先生のきも入りで内儀さん、処女会員を集めて講習会なども開かれてゐる
  栃の実のほかにワラビの根、山葡萄の葉や山牛蒡の葉なども食ふ、学校にゆけば鼻をたらした「干松」が居り、村落の掘立小屋にひとしい家々には、米を作って米の食へない「伯夷叔斉」が青い顔をしてゐる、芋、大根、茄子みんな不出来で、きうりや茄子の漬物もない
 小学校の実習で作った大根が幾らか残つてゐるといふので、百姓が銅貨を握つて小学校へ大根を買ひに来る、細いのが三本五銭でこれが大した御馳走だ、村落を歩いて農家の軒先の蓆の上に並べて乾てある栃の実を貰つて五銭白銅を一枚子供に渡したら「やあ、この銭ア光つてるぞ」と大喜びだ帰りがけにまたその家の前を通つたら、さつきの子が出て来て「平シヤボテンもあるんだがなあ」と呼びかけた、記者はぐつと胸のつまる思ひをした、豊田村では一村禁酒、電燈減燭の決議をして、違反者には私刑を加へるといふ罰則を作つた、最上一帯は全く光を失つた村々の集団だ、米を作る農民の「飯米を与へよ」の声こそ悲痛である

 

 

 

 「床のない家、床があつても畳のない家々から、娘がポツリポツリ芸者に、娼妓に、あるひは酌婦に売られて姿を消してゆく」という「人身売買」の現実。

 それだけでは終わらず、「人でも口を減らさうと思つてゐるのに売つた娘の年が明けて帰つて来られてはそれこそえらいことだ、何とかして娘の年期明けを延ばすことにしよう」との「申し合わせ」をするまでに追い込まれているのである。

 

 ただし、当時の「公娼制度」の下では、「娘の年期明け」への心配は無用であったかも知れない。

 

 

  このように決死の思いでつけられた日記の中で、最も頻繁に出てくるのは搾取システムの実態である。元元彼女は三百円の借金で首が回らない実家を救おうと、千三百五十円で身を売ったのであるが、十分余裕ができると期待したのも束の間、周旋人に二百五十円も取られ、さらに借金を返してしまうと、家には差引八百円しか入らなかった。それでも六年間の年季の間に一三五円を返済するのは比較的容易に見えたが、朋輩の多くが長年月つとめながら一向に足を洗うことができない様子をみて、不審の念をいだいた。
  その謎はすぐに判明した。客から十円の収入があれば、実に七割五分を楼主に取られてしまい、二割五分だけが玉割と称して娼妓の取り分となる。しかも、その中の一割五分が借金返済のための天引きされてしまうので、娼妓は残りの僅か一割だけで生活しなければならないという仕組みなのである。彼女の稼ぎ高は月に三百円程度の箏が多かったので、手元に残るのは三十円程度にすぎなかった。これに対して呉服代から化粧代、洗濯代、電話代、客用の茶菓代、さては湯銭や病気のさいの治療費にいたるまで、諸掛一切が娼妓の負担となっており、これが月に四十円をくだらないので、いきおい楼主から追借をせざるを得ない。
  問題がこれだけでないことを、彼女は正月になってから知った。正月の三が日、七草、および十五、六日は「しまい日」と称し、客に「しまい玉」(または玉ぬき)という特別料金を請求するように仕向ける。揚代金は一時間二円、全夜(オールナイト)十二円を取ったが、「しまい日」には客に全夜の玉を倍の二十四円請求し、そのうえ遣手婆にも普段より多くの祝儀(五円)を出させる。無論、かなりの馴染み客でない限り応じるわけもないが、しまい玉が取れない娼妓に対しては一日二円の罰金が科せられるので、売れっ子以外は戦々兢々とならざるをえない。そのような客のないものは花魁の恥とされるからでもある。
  しまい日は正月ばかりでなく、三月三日、五月五日にも適用される。そのほかに「移り替」といって六月と十月の衣替えにも同様の“行事”がある。とにかく、あらゆる機会をとらえて搾り取る仕組みだが、不器用な彼女にはどうしても玉ぬきができない。最初の月だけで十円の罰金をとられ、主人から「いくら初見世でも、一人位玉ぬきができそうなものだ。もういく日になるんだ」と小言をいわれる。チップで生計を立てている遣手からもいやがらせをされるようになる。
     (紀田順一郎 『東京の下層社会』 ちくま学芸文庫 2000  167〜170ページ)

 

 

 ここで紹介されている「日記」とは、「大正十三年(一九二四)の師走、群馬県高崎市に育った十九歳の女性が周旋人に案内されて新吉原の門をくぐった。森光子というこの女性は、その後の約一年間、娼妓として辛酸をなめ、ついに死を賭しての脱出に成功、翌十四年に『光明に芽ぐむ日々』という告発の手記」のことである(「賣られる最上娘」の記事の10年前の当事者による告発である)。「朋輩の多くが長年月つとめながら一向に足を洗うことができない」のが実情であった。しかも紀田順一郎氏の文章は、「新吉原以外の公娼地帯では一層ひどい状況が見られた」と続いているのである。

 「賣られる最上娘」を待ち受けていたのが、どのような悲惨であったのか。切抜きとして残された新聞記事に書かれた以上の過酷な現実であったことは、想像しておいた方がよいだろう。








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Binder: 現代史のトラウマ(日記数:678/全体に公開)
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