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「娘の身売り」が支えた「公娼制度」・後 (昭和期日本の貧困 その5-2)

2018/06/25 11:00

 

  ( 「娘の身売り」が支えた「公娼制度」・前 (昭和期日本の貧困 その5-1)の続き )






 「娘」は、「娼妓取締規則」の枠組みの中で娼妓登録をすることで娼妓として公認され、前借金を提供した貸座敷業者との間に「娼妓稼業契約」をすることで、貸座敷業者の下で娼妓稼業をし、その稼ぎを前借金の返済へ充てるのである。

 公的枠組み(たとえば東京府の娼妓規則であり、内務省の娼妓取締規則がある)の中での娼妓登録と、私的関係(娘とその家族に対する貸座敷業者)の中での金銭貸借契約と娼妓稼業契約がある。人身売買問題との関連において、娼妓登録については当人の自由意思が問題となるだろうし、金銭貸借契約と娼妓稼業契約が連動する中での人身売買要素が問題となるであろう。

 

  公娼制度下での人身売買を否定していた当時の政府の認識と司法判断の理路はどのようなものであったのか?

 

 政府の認識は、1920年代から30年代にかけての国際連盟で、国際的な婦女子の人身売買が問題とされた際の対応に表れている(ここでは眞杉論文を参照する)。

 既に1910年の段階で、「醜業ヲ行ハシムル爲ノ婦女子売買禁止ニ関スル国際条約」が締結されており(日本は不参加)、婦女子の人身売買は国際的に関心を持たれる問題となっていた。1921年には国際連盟第2回会議において「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」の締結が決定され、日本も(年齢制限には留保した上で)参加する。

 1923年には国際連盟による国際的婦女売買に関する調査が行われ(南北アメリカ、地中海沿岸地域等の28ヶ国・112都市)、1928年の第9回国際連盟総会では調査地域の東洋への拡大が承諾され、1931年に東洋に於ける婦人児童売買の実情調査が現実のものとなり、日本もその対象地域となった。その際の日本政府の対応が、ここでの焦点となる。

 

  こうして娼妓就業が「個人の自由意志」であると釘を刺し、個人の自由意志であるが故に廃業に関しても娼妓の意思が介在し得る点についても言及されている。

   娼妓となるには貸座敷業者に対し前借金を為すを普通とする。(中略)然し此の前借金即ち金銭の消費貸借と娼妓稼業は別個の問題であって、債権を確保するが為に人の自由を拘束するが如き契約を為したならば、民法九十条により公序良俗に反するものとして無効となるべく、娼妓取締規則に於ても亦第六条で娼妓名簿の削除申請については何人と雖も之を妨害することを禁止して居る(内務省警保局『公娼に関する調査』1931)

  このように、前借金と娼妓稼業が別個の問題である事、債権回収の為に娼妓稼業を強いる事態を違法とする事によって廃業時も個人の自由意志は貫かれ得るものと主張するのである。

 

  しかしながら、この主張の要である「前借金と娼妓稼業の分離」は、前借金を前提とした貸座敷業者―娼妓間の関係を揺るがし得るものであり、どの程度実行可能であったか疑問が残る。この点に関しては国連調査団からも「若し公序良俗に反するの故を以て斯る(前借金完済の為娼妓稼業を強いる)契約が無効と宣告されますと、外国乃至国内の妓楼経営者は前借金を貸せると云ふ事は為なくなるでせう。そうなれば此の種の商売に対する致命傷です。」「東洋ニ於ケル婦人児童売買実地調査委員会」1931)との指摘もなされており、政府は苦しい説明を余儀なくされている。

 

  1932年の報告書に対して日本政府は、意見書を提出し娼妓取締規則の「有効性」と自由廃業の「実行性」を主張し、人身売買要素の否定を繰り返している。だがそれが受け入れられる事は無く、1933年「国際連盟東洋婦人児童売買調査委員会報告書」に於ても矢張り自由廃業の実行性は疑問視されている。無論、前借金が娼妓稼業に対する拘束力を何ら持ち得ないものであるとすれば、それは公娼制度の土台に位置する貸座敷業者に打撃を与える事となり、制度自体の存続が危ぶまれる。

 

 眞杉論文では、このように問題が整理され、日本政府の主張(公娼制度=非人身売買)の実際と国際連盟による評価がどのようなものであったのかが明らかにされている。

 

 

 続いて、当時の司法判断の理路を確かめておくこととしたい。

 

 戦後になっての最高裁判決(1955年10月7日)では、

 

  酌婦として稼働する契約と、消費貸借名義による前借金の授受は、それぞれ獨立のものではない。それらは對價関係、密接不可分關係にあるから、契約の一部たる酌婦稼働契約が無効であれば、契約全體も、すなわち借金自體も無効となる。
     (山中論文)

 

とされたが、昭和戦前期では異なる取り扱いを受けていた。山中論文によれば、

 

  この最高裁判決がだされるまでの藝娼妓契約についての大審院の支配的見解は、最も簡略化して述べれば、藝娼妓稼業契約は稼業契約と前借金契約のそれぞれ別個獨立の二個の契約からなり、債務辨儕方法としての前者がたとえ公序良俗に反して無効であっても、このことは純然たる金銭消費貸借契約である前借金契約には何らの影響も及ぼさない、というものである。
  この最高裁の判決にある(最高裁の判決文の中で触れられている―引用者)大審院大正一〇年九月二二日判決「貸金損害賠償請求ノ件」では、藝妓稼業を強制する部分と前借金に關する部分に分け、藝妓稼業契約は人身の自由を拘束するものであり、民法九〇條(公序良俗)により無効である。前借金については「純然タル消費貸借」である場合は、稼業契約の効力とは無関係に有効だと言っている。しかし前借金の授受が「名義ハ貸借契約ナレドモ、其眞意ハ藝妓稼業ノ實質ヲ構成シ」「藝妓ヲ為サシムル對價」であれば無効である、とも言っている。この判決は大審院の傳統的見解に従って、藝娼妓稼業契約から前借金契約の部分を分離する二元論的構成を採り、前借金を有効にすることができると判示しており、リーディング・ケースと理解されている判例である。また最高裁の判決に擧げられているもう一つの判例である大審院大正七年一〇月一二日判決「損害賠償請求ノ件」は、抱主が藝妓を誘拐した第三者に對して、債權侵害を理由として損害賠償を請求したケースである。大審院は、稼業者本人以外の者(=親)が本人(=娘)の意思に関係なく、藝妓稼業に従事させる契約を締結した場合は、公序良俗に違背し無効である。しかし本人が抱主と藝妓稼業契約をなせば、その契約は有効であり、娘が自己の契約上の債務たる藝妓稼業をなすことにより、親の抱主に對する債務が履行される結果となる。したがって抱主は藝妓稼業より生ずる利益を収得する債權を有する、と論じる。ここでも親が娘を稼業に従事させることを約し前借金を受け取った關係を、前借金の部分と稼業の部分に分離して判断する態度が示されている。

 

このような構図として示されている。「本人が抱主と藝妓稼業契約をなせば、その契約は有効であり、娘が自己の契約上の債務たる藝妓稼業をなすことにより、親の抱主に對する債務が履行される結果となる。したがって抱主は藝妓稼業より生ずる利益を収得する債權を有する」との大審院の認識は、先のエピソード中の娘と父親、そして貸座敷業者(抱主)の関係に重ねられるだろう。ただし、このケースでは娘は14歳であり、「公娼」の枠組みには入らないはずなので、その点に大審院判決とは別の問題も生じていそうである。


  いずれにせよ、昭和戦前期の司法判断の枠組みの中では、「藝娼妓稼業契約は稼業契約と前借金契約のそれぞれ別個獨立の二個の契約」とすることで、少なくとも形式的には、「娘の身売り」と呼ばれる事象を「人身売買」としては位置付けずにいたのである。
 しかし、言うまでもない話であるはずだが、冷害による困窮がなければ、この家族が「娘の身売り」にまで追い込まれることはない。「前借金契約」は困窮の果てのことであり、娘の藝娼妓としての「稼業契約」も「前借金契約」に追い込まれての話である。父が貸座敷業者との「前借金契約」にまで追い込まれることがなければ、娘が貸座敷業者との間に「稼業契約」を結ぶことなどない。「酌婦として稼働する契約と、消費貸借名義による前借金の授受は、それぞれ獨立のものではない。それらは對價関係、密接不可分關係にある」との最高裁判断は、実態に基いた当然のものなのであることが、この家族のケースからも明らかであろう。
 「前借金契約」と「稼業契約」は一体のものなのだ。「前借金契約」のないところに「稼業契約」の必要はないのである。

 ちなみに、明治期にも下級審判決においては、前借金契約と娼妓契約に一体性を見出すものがあった。山中論文には以下の判例が紹介されている。
 
  しかし他方では、東京地裁や東京高裁の初期の判決には、娼妓を抵當にしたところの金銭の貸借契約そのものを、明治五年第二九五號布告や同年の司法省第二二號により、無効としている興味深い判例も見出すことができる。
  東京上等裁明治九年一〇月判決「賃金催促ノ件」には、「抑人身賣買ハ古来國家ノ禁制ナルニ、人身ヲ抵當トシ金圓ノ貸借ヲ約シ身代金ヲ以テ償ヲ受ル如キハ、則制禁ニ相觸レ、不可得爲契約ヲ為シタルモノニ付、裁判上採用不相成候事」とある。


この他にも東京裁明治一〇年二月二一日判決「賃金催促ノ訴」、東京上等裁明治一〇年五月二九日判決「賃金催促ノ一件」が「賃金契約それ自體を無効とする」判例として挙げられている。
 明治初期には司法判断にも揺れがあったことがわかるだろう。

 

 

 娼妓となる者の「自由意思」、特に「廃業の自由」について、どのような司法判断がされていたのかといえば、眞杉論文にあった娼妓取締規則の枠組み、


  更に娼妓取締規則に於いては「娼妓名簿削除申請ニ関シテハ何人ト雖妨害ヲ為スコトヲ得ス」との条文が定められており、廃業手続きについては「娼妓名簿削除ノ申請ハ書面又ハ口頭ヲ以テスヘシ」と口頭という簡素な手段を含める事によって廃業の自由を確保、「就業の自由意志」の強化が図られている。


この枠組みに、確かに実行性はあったのである。娼妓名簿削除申請に際して貸座敷側からの妨害があっても、訴訟を起こしさえすれば娼妓側の申請は司法の場で支持されたことが、当時の判例から明らかになっている(山中論文には多くの事例が示されてている)。その意味で、娼妓の「廃業の自由」が司法の場で保障されていたことも確かなのである。

 しかし、この点については、マーク・ラムザイヤー「芸娼妓契約 ―性産業における「信じられるコミットメント(credible commitments)」(1993)の指摘を見落とさないでおこう。「司法の場」へのハードルは、貸座敷業者にとってより、娼妓(あるいはその家族)にとっての方が高かったはずである。

 

  ほとんどの抱主は繰り返しプレイヤー(repeat player)であるから、司法機構を扱うのに必要な情報と法的能力に投資することができた。対照的に、娼婦とその親の大部分は教育も知識もなく、単発的プレイヤー(one-shot player)であって、抱主と比較して、法制度をどのように使えばよいかを学習することがコスト面で効率的なことはあまりなかった。

 

21世紀になっての「ブラック企業」あるいは「ブラック労働」の問題においても、訴訟を選択する労働者は少なく、多くは「泣き寝入り」であるのが現実なのである。

 

 貸座敷業者(抱主)と娼妓(娼婦)は対等なプレイヤーではない。娼妓が負っているのは自身のではなく家族の負債なのであり、それだけでハンディとなっていたはずである。

 この点について眞杉論文では、

 

  日本政府は、個人の自由意志を軸として就業・廃業時にそれが発揮される事、或いは自由意志の発揮が阻害される場合にあってはそれを処罰対象と認定する事により「他者の拘束を受けることが無い=人身売買ではない」と近代公娼制度の人身売買的側面を否定してきた。これに対し国連調査団は1932年実地調査報告書に「此の法令(娼妓取締規則第6条)の精神並びに目的は常に必ずしも遵守せられざるものの如く、警察当局が警察署に雇主を出頭せしめ、之と廃業希望者本人又は其の父母家族と協議せしめ、又は本人を壓迫する等の事実は、屡本人をして其の年期満了又は雇主に対する債務完済に至るまで貸座敷に止まらしむるの結果を来たす懼れあり」と日本政府の主張を疑問視する見解を寄せており、前借金と娼妓稼業に関連を見出している。この国連調査団の見解を鑑みるに、「前借金―娼妓稼業」を不可分と認識するのであれば必然的に廃業時の自由意思の発揮は困難なものであり、「非人身売買」主張についてかなり懐疑的である様子が窺われる。

 

このように「警察当局が警察署に雇主を出頭せしめ、之と廃業希望者本人又は其の父母家族と協議せしめ、又は本人を壓迫する等の事実」を国連報告が指摘していたことを明らかにしている。「廃業希望者本人」だけの「自由意志」の問題ではなく、「其の父母家族」の存在も廃業希望者本人には無視できないことに想像力を持たねばならない。当時の当事者の心情の問題としては、債務者(其の父母家族)は債権者(貸座敷業者)より弱い立場にあると考えられていたのであり、前借金を前提とした稼業契約は、娼妓たる娘に拘束的に機能したはずである。「廃業の自由」が一般的に行使されるものであったなら、「娘の身売り」が社会問題として新聞紙面を占め、読者の関心を集めるようにはならない。

 眞杉論文の指摘を思い出そう。

 

  前借金が娼妓稼業に対する拘束力を何ら持ち得ないものであるとすれば、それは公娼制度の土台に位置する貸座敷業者に打撃を与える事となり、制度自体の存続が危ぶまれる

 

まさに前借金が娼妓稼業に対する拘束力を持っていたからこそ、公娼制度は維持されていたのであり、その現実認識に基づくことで最高裁の判断も導かれたのである。

 

 

 

 問題が「娘の身売り」と表現されることによって、そこが「人身売買」の現場であるとの認識が一般に共有されていたことが、当時の新聞記事を通して、あらためて確認出来た。

 一方で、当時の日本政府も司法判断も、公娼制度が人身売買を排したものであると主張していた。そこでは、「前借金と娼妓稼業の分離」との論理が用いられていたが、現実の問題としては、前借金は娼妓稼業に対する拘束力を持つものとして機能していた。明治初期の司法判断にもその認識があったし、1930年代の国際連盟調査団からも問題として指摘されていた。戦後の最高裁判断は、そのような戦前期から指摘されていた問題を、あらためて司法の場で認めたものと言える。日本の司法は、戦後になってやっと「娘の身売り」を「人身売買」の問題として取り扱うに至ったのである。オールコックの「文明」への遅れての一歩というべきであろうか?


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Binder: 現代史のトラウマ(日記数:684/全体に公開)
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