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総力戦下の猫 1

2019/04/01 09:49

 

 

 戦争は人間の都合によるものだが、その悲惨に巻き込まれるのは人間だけではない。

 

 

 

 アジア太平洋戦争下の昭和19年(1944)秋、軍需毛皮の兎が不足したことから、軍需省・厚生省が飼い犬の毛皮供出献納を都道府県知事あてに通牒し運動が全国に展開した。ところが、北海道では早くも18年に犬毛皮の供出が始まり、19年には海軍の要請により飼い猫が加わった。運動と実施の主体は北海道庁と札幌市及び大政翼賛会北海道支部と札幌支部であり、実際の業務は国策会社の北海道興農公社が全道にまたがり行うという、官民一体となった運動であった。背景には国民を戦争協力体制へ導く教化運動があり、日中戦争(1937年)を契機に開始した国民精神総動員運動が翌年1938年の国家総動員運動へ、さらに1940年の国民統合組織の大政翼賛会運動へ発展・継続した。物資不足の代替に供出対象が飼い犬飼い猫という身近な愛玩動物へエスカレートした。社会全体を上意下達の全体主義が覆い、行政の末端の町内会までに草の根の軍国主義が及んだ一つの現象であった。
     (西田秀子 「アジア太平洋戦争下犬、猫の毛皮供出、献納運動の経緯と実態―史実と科学鑑定」 2016 札幌市公文書館 事業年報第3号別冊 論考3冒頭の「要旨」より)

 

 

 今回は、戦時下の猫の受難について、西田氏のすぐれた論考を通して紹介してみようと思う。

 

 「戦時下の猫」と書いて思い出すのは、米国陸軍省による「Why We Fight」と題されたシリーズの一本、フランク・キャプラによる『Why We Fight: The Battle of Britain 』に登場する、ロンドン空襲下で市民と共に暮らすネコの姿である。短いシーンであるが、空襲の惨禍の中で、ネコの存在は安らぎとして捉えられているように見える(https://www.youtube.com/watch?v=cSZnFo7JORo)。

 悲惨なのは、普仏戦争の際にプロシア軍に包囲され食糧補給の途絶えたパリから記事を送っていたヘンリー・ラブシェアの伝えるエピソードである。

 

 ラブシェアは、従軍記者に期待されていた強がりを軽蔑した。「私は、遠くから戦闘の匂いを嗅ぎつけて、その真っ只中に急行するという抗し難い欲望は持ち合わせていない。自分の好奇心を満たすためだけに頭部に砲弾を受けるなどは、私には愚の骨頂としか思えない……」。そこでラブシェアは一〇人から一二人が殺される毎日の砲撃のことは無視し、食糧補給が途絶えたために動物園の獣を食べ、やがてこれまでは食物と思われなかった物まで料理し始めたパリ市民の生き残りの決意を克明に書くことに専念した。
 ラブシェアが最近食べた献立の記事に読者はぞっとしながらも、『デーリー・ニューズ』の発行部数は着実に伸びていった。彼によると、猫は「ネズミとリスの中間の味ながら、独特の風味がある。美味である。子猫は、玉ネギで蒸し煮にするか、シチューにすると最高である」。ロバはマトンに似ているし、「ドブネズミのサラミ」はカエルとウサギの中間の味がした。イギリス人の彼には、犬を喰うのはとても無理だった。「私は、人間の友である犬を食べるときは、罪悪感をおぼえる。こないだはスパニエルを一切れ食べた。決して悪い味ではなく、子羊のようだったが、人食い人種の気分だった」
     (フィリップ・ナイトリー 『戦争報道の内幕 隠された真実』 中公文庫 2004)

 

 厳しい飢餓の中、追い詰められた人々に、ネコも食料とされてしまうのである。

 

 

 さて、西田氏の論考である。

 戦時下の日本で、飼い猫が毛皮の供給源とされてしまった事実を、史料に基づいて示したものだ。

 皮革・毛皮は重要な軍事物資であった。昭和12年以降の支那事変の拡大は、軍事物資としての皮革・毛皮の確保を切実な問題とさせた。

 

 昭和13年3月、戦時(事変)に際して人的および物的資源を統制、動員、運用するための国家総動員法が公布され5月に施行された。
 皮革は軍需品として国の統制下に入った。政府は生産力拡充の目的で(2)、昭和13年7月1日付けで皮革について次の商工省令を公布した。?「使用制限規則」、?「製品販売価格取締規則」、 ?「配給統制規則」これにより、皮革原皮の集荷・販売・配給が一元化された。全国の原皮を集荷統制し、各製革工場に販売、配給する権限を国から付与されたのは、東京原皮商業組合、大阪原皮商業組合、北海道では酪連であった。
 酪連は道内の原皮統制機関として13年8月から営業を開始した。皮革統制により商売不能となった道内の原皮仲買人は、酪連が道内28カ所の現地処理主任として採用した。道内各地の屠場で処理された原皮を札幌苗穂(14年に新設)の酪連皮革工場に集荷し、軍が買い上げた後に同工場で製革し、残りを民需用として販売した(3)。これらの毎月の取り扱い数量は所管の商工省に報告の義務があった。酪連は札幌市から委譲された屠場で処理した材料で軍用缶詰を製造し、第七師団に納入する一方、原皮の集荷・鞣革(牛・馬・豚)と兎毛皮生産についても軍需・民需両面の生産、販売を一手に担い急成長していく。
     (西田論文 
2-1-2ー論文にはページ数の表記がないので、以下、各節の番号で引用箇所を示す)

 

 肉は軍用缶詰に、皮革は様々な装具に用いられ、毛皮は防寒具として重要であった。

 兎の毛皮については、ナチスドイツでのエホバの証人をめぐるエピソードを思い出す(強制収容所で兎を飼育し、軍用毛皮の供給源としていた中での出来事)。

 

 証人たちは軍務を嫌悪した。そのため、毛皮が軍服に使われるというのでウサギの番さえ拒否することも起きた。その結果、何人かの女性囚は、ラーヴェンスブリュックとアウシュヴィッツ(オシフィエンチム)で反逆罪により死刑を執行された。
     (シビル・ミルトン 「エホバの証人」 ウォルター・ラカー編『ホロコースト大辞典』)

 

ナチスにより強制収容所に収容されたエホバの証人は、、徴兵拒否にとどまらず広範な戦争関係業務拒否も貫き、(労働としては軽度であるはずの)「ウサギの番さえ拒否することも起きた」というのである。それが死刑に相当する「反逆罪」と位置付けられた背景には、軍用毛皮の確保の重要性も考えておくべきであろう。

 

 さて、日本である。西田氏は特に北海道に焦点を合せているのだが、北海道空知郡農会により昭和12年(1937)9月、傘下の農家の実行組合長と組合員に宛てた「急告兎毛皮奉国」というチラシが紹介されている。西田氏による抜き書きを引用しておこう(チラシ原文にある振り仮名は略、アンダーラインは原文通り)。

 

〇膺懲の皇軍の、矢継早の勝利に伴ふて、兎毛皮の軍事品としての要求が彌々緊切必須の度を高めました。
〇零下三四十度の、寒冽なる戦場に於ける我等勇士に、暖かき兎毛皮付きの外套等を供することは、身も心も一層勇壮にし明朗にして以て三軍の士気を振はしむることとなるのであります。(略)
〇然るに、僅かの値ちがいに眩惑して(本年度は値ちがいのない計画ではあるが)商人の奪取に一任するが如きは、忠誠なる日本人魂の上から、不可解ばかりでなしに、見様によりては、非国民呼はりをも、さけ得ないことではないでせうか
〇陸海軍では、如何にしても予定の兎毛皮の納入を得なければならぬといふ、軍事上の最大急要の事情があるので、確聞するところによれば、全国農家飼育頭数の全部(来年に備ふべき種等は別として)買上げの計画であり、亦近く、国法では、兎毛皮海外輸出を禁ずることになるとのことであります。兎毛皮奉国の理由は之だけでも明かでせう。
実行組合会長各位、なにとぞ其の組合員の分を取りまとめて下さい。組合員各位、何卒衷心より、赤誠を以て、納入を敢行してください。
 学校の生徒諸君は、自分の飼育の分は、勿論ご両親が飼育している分でも、もし、ご両親が、気づかずにいるなれば、諸君が早速申し出て、兎毛皮奉国の実を挙げて下さい。

〇兎毛皮奉国! !!兎毛皮奉国! !!本年は是非少なくとも配当の枚数だけは、萬障を排して、町村農会を経て納入して、他府県、外支庁管内に比し断然優勝の成績を挙くるやふ、お互に努力奮闘したいと思ひます。
〇納入手続、価格、其他詳細のことは、町村農会よりお知らせ致しますが、各位からも御照会を願います。
     (2-3-2)

 

 北海道という土地柄からすれば、「零下三四十度の、寒冽なる戦場に於ける我等勇士に、暖かき兎毛皮付きの外套等を供することは、身も心も一層勇壮にし明朗にして以て三軍の士気を振はしむることとなるのであります」、すなわち「暖かき兎毛皮付きの外套等を供すること」の切実さは理解・共有されるものであったろう。その上で「陸海軍では、如何にしても予定の兎毛皮の納入を得なければならぬといふ、軍事上の最大急要の事情がある」とし、「軍事上の最大急要の事情」を強調しているのである。それへの非協力に対し、「見様によりては、非国民呼はりをも、さけ得ないことではないでせうか」と脅迫的言辞も付け加えられての「急告兎毛皮奉国」なのである。上意下達の国家的行政的指示命令システムによるもの以前に、北海道空知郡農会は「兎毛皮奉国」を率先して展開しようとしていたのである。事変が始まって、まだ2か月の段階での話だ。

 

 「事変発生以来暖かい防寒毛皮となり肉となって聖戦に尽くした幾多の軍用兎の霊を慰める」との趣旨で開催された、帝国農会による「軍兎祭」は全国的なものであったという。

 

 昭和15年ころに兎関連の新聞記事が急増する。15年9月16日、中秋の名月の日を選び帝国農会は「軍兎祭」を日本全国各地で行った。「事変発生以来暖かい防寒毛皮となり肉となって聖戦に尽くした幾多の軍用兎の霊を慰める」とある。「修祓(しゅうふつ)、献選、招魂祭の儀についで農林次官(代理)、道農会会長、陸軍被服支廠札幌出張所長森中佐、札幌地方海軍人事部斎藤中尉ほかの奉奠(ほうてん)があり慰霊祭を終り、被服本廠長より道農会へ感謝状、郡農会より道内市町村、小学校養兎家、軍兎の功労者256人へ表彰状授与。北光小学校児童の「兎のダンス」の余興が披露された」。国益に叶うなら兎の霊も慰める「軍兎祭」のように、国家に捧げた命の犠牲を儀式化することで、一般国民に報国を知らしめる戦争プロパガンダ(宣伝)が増えていく。
 「少女ら兎を献納札幌市北光小学校では『学童養兎報国団』をつくり四年生以上の二百五十名が学校から子兎一頭ずつをもらい受け、自宅で空箱を利用して」6か月間育てたあと、学校で酪連の技師による審査を受け、肥育の良い200羽が「酪連を通じて戦地の兵隊さんの外套の襟として献納」された。この兎飼育運動は来年も続けるとあり、昭和19年には学校単位の競争に発展する(『北海タイムス』昭和15年10月17日、『北海道新聞』昭和19年2月19日)。2016年の現在、校庭の隅の兎小屋で兎を飼育する小学校が見受けられるが、もとは戦時下の兎飼育奨励の毛皮献納運動に始まっている。
     (2-3-4)

 

 

 「軍用兎の霊を慰める」一方で、「学童養兎報国団」をつくる小学校もあり、「昭和19年には学校単位の競争」にまで発展する。西田氏による「2016年の現在、校庭の隅の兎小屋で兎を飼育する小学校が見受けられるが、もとは戦時下の兎飼育奨励の毛皮献納運動に始まっている」との指摘は興味深い(起源は忘れ去られている)。

 

 しかし、「兎と兎皮の集荷数は昭和14年26万8000羽をピークに下降し、昭和20年はピーク時の1割に届かないまでに減少した。北海道庁が12年にたてた5カ年計画は農家12万戸に24羽ずつの割当飼育で年間288万羽の兎毛皮を見込んだ。最盛期14年の48万羽でさえも2割にも満たない大きな計算違いであった(2-3-6)」と西田氏は実情を明らかにしている。

 

 17年度は大政翼賛会が主体となって陸軍・海軍・農林・文部各省と帝国農会の協力により全国的な家兎大増産運動を展開し農家はもちろん学校・家庭にも飼育を奨励したが収入の少ない養兎はなおざりにされて家庭労働力も減少し「頼みの学童飼育でさえ労力を緊急方面に動員された」ため全国的に運動の成果が上がらなかった。17年度の兎毛皮は14万8600枚で3000枚の増産にとどまった。18年度は道庁・農業会・興農公社の3者が一体となって飼育と供出を勧奨したところ、家兎の公定価格が3割引き上げられ、さらに北海道の特殊事情により公定価格よりも百匁につき2銭の歩合を付けたが自家用屠殺が増えて集荷数は13万9700枚と前年よりも8900枚の減少となった。配給制に頼る食糧難が続くと、自宅で飼っている兎は良質のたんぱく源として、家族の胃袋を満たしてくれる存在となった結果である。19年の全道生産が20万羽あっても、興農公社が兎肉を集荷できなかったということを現している。航空服用の毛皮に兎が入手できなくなった北海道庁と興農公社、大政翼賛会の運動が非常時対策として次に着目したのが、飼い犬飼い猫の毛皮供出献納運動であった。
     (西田論文 2-3-6 )

 

 総力戦下での戦時動員は多方面に及び、労働力不足はどの産業でも深刻化した(「軍産複合地域としての昭和十年代多摩 (10)」も参照)。農家にとっても学校でも養兎どころではなくなりつつあったのである。さらに食糧難は兎を「良質のたんぱく源」として自家消費させるところに追い込む。戦時日本の限界の典型的事例であろう。

 そこで着目されたのが飼い犬であった。

 

 西田氏は昭和18年4月2日の『北海道新聞、「毛皮報国ワン公も滅私奉公」と題する記事を紹介している(3-2-3)。

 
 街頭を横行する野犬を大東亜戦を勝ち抜くための毛皮報国のために御役にたてる妙案が札幌市翼賛会支部で実施されることになった。
 畜犬毛皮の献納運動は翼壮、青年団員の勤労奉仕によることとして準備中であったが、野犬の捕獲は、狂犬病を有するものがあって、相当危険なので警察当局と打合わせの結果、畜犬に限り連合公区長及公区長を煩はして、飼い主から献納申し込み徴収し、四月六日まで市役所公区係に提出させることになった。その方法は、次の通りで、札幌支部では野犬報国運動の徹底を期してゐる。
一、各公区で献納が十頭以上あるときは申込書と同時にその公区の一定の場所に集め、引渡し月日を市公区係に通知すること。(ただし四月十日までを献納期間とす)十頭未満の場合は、献納主より直接豊平毛皮工場に引付けのこと。
二、興農公社の買収代金は、大政翼賛会札幌支部(公区係)を経て国防献金として同時に支部に報告すること。

 

 

 昭和19年2月1日の北海道庁経済部長、警察部長名による「野畜犬毛皮献納運動実施ニ関スル件」の「野畜犬毛皮献納運動要綱」では、

 

 一、趣旨兎毛皮ハ酷寒地第一線ノ将兵並ニ航空将兵ノ衣料トシテ眞ニ欠クベカラザル重要ナル軍需資材ナリ然ルニ輓近軍用兎ノ増殖ヲ図ルモ野畜犬ノ被害ニ依リ飼育頭数激減スルノ状勢ニアリ。決戦下寔ニ寒心耐ヘザルモノアルニ鑑ミ本運動ヲ実施シ軍用兎ノ増産ヲ計ルト共ニ野畜犬毛皮ヲ献納シ軍兎毛皮ノ不足ヲ補フヲ目途トス

 

との理由付けがされている(3-2-4)。北海道庁の発行する『北海道庁公報』第3306号(昭和19年2月2日)の表紙には「野畜犬進んで奉公さあ! 今だ!」の標語とイラストが掲載されている(3-2-5)。

 「進んで奉公」の実際は、殺されて毛皮となることである。その決断・協力を飼い主に求めたのである。

 既に人間には「玉砕」の名による戦死が慫慂され、やがて特攻という名の自殺攻撃が求められるようになる時代の話なのである。大日本帝國の戦争、総力戦は、果てに「一億総玉砕」なるスローガンまで編み出すに至る。言葉通りに理解すれば、日本人全員が戦死するという話だ。飼い犬だって「進んで奉公」するのが当然なのである。ただし、それは飼い犬自身の意思の問題ではなく人間の都合の問題に過ぎない。

























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Binder: 現代史のトラウマ(日記数:694/全体に公開)
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最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2019/04/01 09:51
    長くなったので二回に分割(その第一回)。

  • Comment : 2
    umasica :桜里
     2019/04/01 09:57
    本来ならエイプリルフールネタの日なのだが、
    毎日がエイプリルフールみたいなトランプ・ツイートを前に、
    エイプリルフールとしての営業を断念。


    まったくもってヒドい戦時日本の実話紹介となった次第。

  • Comment : 3
    umasica :桜里
     2019/04/01 20:00
    第二回記事と併せ、加筆修正の上、
    ココログ版の「現代史のトラウマ」記事としてアップ。


     総力戦下の猫
     http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-4933.html

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