umasica :桜里さんのマイページ

続々・歴史問題としてのたぬき男いたち男

2007/06/14 23:55

たぬき男いたち男ネタ日記に、本人のコメントがつくという展開を迎えてしまった。

誠実な私なので、誠実にお返事をしておいた。

「誠実」なんて言葉を臆面もなく書いてしまっているが、かつての「いぢわる日記」時代からの読者にとっては、これもネタのひとつに過ぎないことはご理解いただけるはずだ。


さて、「歴史問題」である。

かつてもこの点については取り上げたことがあった。
歴史の記録、そして記憶の問題を。
被害者と加害者という異なる視点を導入した時に、同じ過程が、まったく別の出来事として、記憶され記録されるのだということ。このことについて強調しておいたはずだ(たぬき男いたち男登場以前の日記上での話だが←後世の歴史家によって、私の日記にもタヌキ以前とタヌキ以後という歴史区分が与えられるかも知れない)。

そのプレ・タヌキ時代の日記では、「改正」学校教育法の文言の「わが国と郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き」という一節を取り上げていたはずだ。
つまり、同一の事態に関与した者であっても、そこで被害として事態を体験した者と、加害者として事態に参加した者では、記憶も異なり、記録として残されるものも別のものとなるだろう。場合によっては、加害側の人間にとっては記録どころか記憶にも留まらぬ事態としてしか感じられていないかも知れないのである。

そのことを指摘した上で、「歴史についての正しい理解」とはどのようなことなのかという問いを発してみたはずだ。
つまり、加害者による歴史記述が「正しい理解」であるのか、被害者による歴史記述こそが「正しい理解」なのか、考えておく必要があることを述べておいた。
そのメタレベルでの理解、歴史記述は記述者の観点の反映物であり、そのことを理解することこそが「歴史についての正しい理解」たりえるだろう、そんなことを書いていたはずである。


今回の「たぬき男いたち男」をめぐる一連のやり取りからも、同様の問題が浮かび上がってくる。

まず、私たち自身は、あくまでも旧・タヌキによる「アラシ行為」の被害者なのである。旧・タヌキの行為に対して、被害者としての記憶が私たちにはある。また、残されたトピックやレスの文言も、被害者の視点で解釈されるだろう。

話が複雑になるのは、タヌキ自身(新・旧問わず)は、精神障害者であり、マイノリティーであり、マジョリティーとしての私たちからの「無理解」や「無関心」の「被害者」として自身を考えている側面が問題の背景として考えられるからだろう。

また同時に、コミュニティ「存在の意味」での、やわらか@テロルさんや、みいさんとのやり取りを通じて、たぬき男いたち男が、彼女らの被害者であるという認識を持ってしまっているらしいということも、問題を複雑化させる原因となっているようだ。

私の見るところでは、やわらか@テロルさんは、たぬき男いたち男の前に鏡を差し出して当人の行為を当人に見せようと試みただけであるし、みいさんは、たぬき男いたち男が他者に対して振舞ったように、たぬき男いたち男に対して振舞うことを演じて見せただけ、である。
加害者に、加害者の振る舞いを見せただけの話でしかない。眼前に鏡を差し出すか、眼前で演じて見せるか、違いはあるにしても。

しかし、当人であるたぬき男いたち男にとっては、それは虐待体験であり、自身はあくまでも被害者としてしか認識されていないようなのである。


なんだか、大東亜戦争をめぐる、「空襲体験」と「引き揚げ体験」だけで構成された、わが国の歴史を連想させる事態である。
パレスチナの「テロリスト」とイスラエル国家の関係も思い浮かぶ。占領者には、被占領者の抵抗は「テロ」であり、「テロ」行為への被害感情しか生まれない。そこでは、自らが占領者として行使し続けている暴力は意識に上らないのである。


どちらにしても、当人にとっては体験は真実なのである。
第三者から見れば、ご都合主義にしか見えないにしても、加害者としての自らの位置は意識に上らず、被害体験のみが継承されていく。
しかし、ここからは相互理解は決して生まれないだろう。

やはり「歴史についての正しい理解」の必要が、私の示した意味での「理解の必要」が、感じられてならないのである。


Binder: たぬき男いたち男研究(日記数:19/全体に公開)
このエントリーをはてなブックマークに追加
最新コメント

  • Comment : 1
    まみちゃーな
     2007/06/15 00:07
    ことほどさように、歴史認識の「齟齬」の解消は難しいということですね。
    もしたぬき男いたち男に子供がいたとしたら、子供はきっと「父は被害者」と
    思い込み、周囲を「親の仇」と捉えて成長するわけですね。
    当の本人にさえ客観的事実を認識させるのが難しいのに、代替わりしちゃったら
    ほとんど不可能ですよね〜。
    戦後補償裁判の困難をも、想起してしまったことでした。

  • Comment : 2
    s06007
    s06007さん
     2007/06/15 08:17
    歴史的事実を考察する上で、国家も個人も似たような問題が起きているということなのでしょうね。

  • Comment : 3
    あつこ
    あつこさん
     2007/06/15 15:29
    昨日、今日、ガザ地区で、内戦の様子に なってきています。
    内戦、とか、内ゲバとか 言う事に ついては、私の 理解を 超える事
    です。やはり、自己分裂に近いのでしょうか?
    この混乱状態を、打開する 方法は、あるのでしょうか?

  • Comment : 4
    しんすけ
     2007/06/15 20:44
    最近、僕もブログの中で、マイノリティーやディスコミュニケーションに関する発言をしています。
    しかし、考え方の見地が異なる人には何を言っても駄目だと虚しさを感ずることが多い昨今です。

    「あなたの考え方もわかります。でも僕の、こういう考え方もあって良いんじゃないですか」
    って言っているつもりなんですが。
    最近は、中国・北朝鮮派と評価されているみたいです。
    僕の文章をもう少し読んでいただければ、アメリカの手前勝手を糾弾しているだけなんですが。

    こんな、日本社会の現実の中で、コミュニケーションとは何であるかを書き続ける桜里さんは
    世界遺産的存在だと思っています。

  • Comment : 5
    umasica :桜里
     2007/06/19 23:11
    まみちゃーな様

    「代替わり」で、時間の経過が、歴史への距離感として働けば、出来事の客観視につながる、という可能性に希望を持ちたいです。

  • Comment : 6
    umasica :桜里
     2007/06/19 23:15
    s06007様

    結局、過去の出来事が客観的に存在するというわけではないですからねぇ…
    記憶の中にしかない以上、そして「記憶」ほど当てんならないものもない以上……ってことでしょうか?

  • Comment : 7
    umasica :桜里
     2007/06/19 23:17
    あつこ様

    結局、「政治」という人間特有の現象が付いてまわるということでしょうか?

    大きな敵と闘うことが出来るのはどちらかで争っているようなものです。
    悲しい話ですね。

  • Comment : 8
    umasica :桜里
     2007/06/19 23:23
    しんすけ様

    私も、ついケンカ腰になりやすく、問題理解を妨げる原因となってしまうようです(ただの問題提起のつもりが、攻撃されたとカンチガイされて)。
    要反省とは思っているのですが、性格は変えがたいところがありますね(たぬき男いたち男のことをとやかく言えないような一面は残ります)。

このブログにコメントをつけるには、ログインする必要があります。
マイページをお持ちでないひとは「マイページを作成する」ボタンを押してマイページを作成してください。
不適切なブログを見つけたら、こちらからご報告ください!

Mail Address(GMO ID):

Password:

自動ログインパスワードを忘れた方

最近書いたブログ


https://www.freeml.com/feed.php?u_id=316274&f_code=1



Copyright(C)2019 GMO Media, Inc. All Rights Reserved.