さくらみるくさんのマイページ

「濁ることのない水」の本質と、カウンセリング。

2010/03/05 17:57





朝から晩まで、毎日毎日、それこそほとんど休みなく、考え抜いた一年間が、もうすぐ一区切りを迎えます。
禅のお坊さまは、食事の用意であれ掃除であれ、朝から晩まで修行だと言われる。
正にそのような一年間を過ごしてきたように思います。
禅のお坊さまが公案を与えられて、座られたり生活の仕事をされたりなさりながらただただひたすら心を澄ませ、ただただひたすら公案の答について思い巡らされるのと、同じ一年であったように感じます。
「であった」と過去形で書きましたが、考えなくなったわけではありません。
以前のように、頭で理屈をこねくり回さなくなりましたが
思いはむしろ、思考を放棄した沈黙の中で深まってきているように思います。


明日、明後日は、しあわせな人生の実現をサポートする人材養成講座」二期の最後の合宿です。
ずいぶんとたくさんの学びをいただき、深い深い育て直しを頂きました。
信じられないほどの癒やしと回復を得てきました。
たった一年間の出来事であったとは到底信じられないほどの、
濃い、濃い、一年間でした。

禅の公案のように、非常に濃いお話をされる澤谷先生です。
ものすごく大切なことを、どこでぽろっと世間話のように仰るかわからず、全神経を集中して聞き取ろう、学び取ろうとする日々でした。
実際に話されるお言葉以上に、お語りにならないことで教えてくださる先生ですので
「ただお言葉を聞いていればいい、ただ書かれたものを読んでいればいい」
というわけにいかず、頭も心も神経も魂も何もかもを総動員していた気がします。
明けても暮れてもそれこそ朝起きてから夜眠るまで、絶え間なく先生のお言葉を考え続ける日々でした。
馬の目の前に魅力的な人参を吊るされているようなもので、もう、食いつこうと走らずにいられないのですね。それがまた苦しいのに楽しくて楽しくて仕方がない。


そこまでやってくるとですね。いかに鈍い人間でもだんだんとわかってくる。
こうまで浸しこめば、少しはしみこんでくるものもあろうかというものです。^^


しかし、難しいものはやっぱり難しい。

澤谷先生はよく、「全ての人の中には濁ることのない水のような本質がある」と仰います。
これがまた、いつまでたっても最大の難問中の難問でありました。

何となくはわかる。でも、自分の言葉と表現で語れないとわかったことにならない。そこまで行きたくてずっと思い巡らせておりました。

カウンセリングをさせて頂く中で、どんなにひどい状態の中におられる方でも、いや、ひどい状態の中におられればおられるほど、その方からまともに見ることができないほどのまばゆい光が輝き出ていることは感じるようになりました。それは確かに、決して濁りようがない光でした。
また、人の中には、どんな辛い体験によっても決して傷つくことも汚されることもない、何ものによっても傷つけることも汚すこともできないダイヤモンドのような本質があることも、感じるようになりました。
そこまではわかりました。

でも、澤谷先生が仰るところの人の本質は、光でもなくダイヤモンドでもない。それは「水」だと先生は仰る。
「水清ければ魚住まず」で、あまりに澄んでしまっては生きていけない。ある程度濁っているからこそ人とも付き合えるし生きていけるのだと仰る。
どうしてもわからなかった。なぜ「水」なのかと。
これが謎だったのです。

今回濁らない水の話を、わからないなりにも書いてみようかと思ったそもそものきっかけは、前の日記に書いた何十年も昔の体験。存在しているのに全く見えない透明な水に心をふるわせた体験が、いきなり生々しく思い出されたことでした。
それは、わたしが澤谷先生のカウンセリングメールを拝見した時に感じた感覚と全く同じであった。そこに先生はおいででありながらいらっしゃらなかった。そして全く透明でいらっしゃるのに、おいでであったのです。
「人の本質である水が透き通る」とは、「人の本質である水を澄ます」というのは、そういうことだったのだと、するするとイメージの中で理解されたように感じたのでした。

そう、確かに人の本質は水でありました。澄み切った濁らない水でした。それ以外のものはみな表層であり、思いのままに溶かし込まれるものであり、本質でないものであった。この本質に立つ時、もはや何ものもわたしを傷つけることはできないし、汚すこともできないのです。

傷つけることも汚すこともできないとは、それまで光ともダイヤモンドとも感じていた人の本質の性質と同じです。では何故、光でもなくダイヤでもなく「水」なのか。

水は、流れ続けて汚れをすすぐことができるのですね。後から後から湧き出て流れ続ける、命そのもののように感じます。命ある限り止むことなく、湧き出て流れ続ける。この水に信頼する時、たとえ攻撃されようが傷つけられようが、恐れることなくどんな相手にでもカウンセリングできる。「さくらみるく」であり続けられるのだと知りました。

流れ続けて止むことのない水が流れているのならば、どんなに自分が汚れようがそんなことは全く問題ではない。恐れずに汚されればいい。止まることのない流れの中で絶え間なく洗い続ければよいのだから、むしろ進んで汚れていい。自分が汚れることで相手を洗えばいいのですね。そもそもどんなに汚れたところでそれは自分の表層にしか過ぎず、自分の本質には傷も汚れも付くことがない。ついたと思った側から流れ去って行くのだから、何の問題も無い。傷つけられた、攻撃されたと気に病むことも痛む必要もないのです。

そして、相手の中にもまた同じ、濁ることのない流れ続ける水の本質があるというのですから、これがまた面白いですね。お互いに表層は流されあい変化しあいながらも、その本質はお互いに変わることが無いのですね。


また、存在が消えるほどに透き通った水は、それだけありのままに覗き込む相手の姿を映し出す。だから水鏡は怖い。恐ろしい。自分がそうでなければ、カウンセリングなどできるはずがないからそれでいいと思うのですが、これもまた面白い。自分が相手の水鏡であろうとすると同時に、既に相手が自分の鏡であるのですから。お互いがお互いを映しあい、諸共に澄み渡っていくことこそがカウンセリングなのでしょう。




最後に、マイミクのGさんの素敵なコメントを転載します。

この日記は、いったんアップした後、満足できずにお蔵入りにしたことがありました。そのお蔵入りの前にいち早く付けてくださったコメントです。


  いつも深い深いお話をありがとうございます。

  私が感じたのは、その人自身が水ではあるが、
  その人が、他の人にとっての水でもあると思うのです。

  潤い、生、愛、という点でです。

  水という表現を使うと、生きること全てに通じる気もしました。

  心が水、乾いた心身を浸すのが水、生命の原点。

  感動しました。
  ありがとうございました。



ありがとうございました。

ありがとうございました。


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