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60年前の水窪の教育―「水窪町勢一班」より

2011/10/16 06:51

 佐口行正氏からお貸しいただいた昭和27年(1952)発行の「静岡県磐田郡 水窪町勢一班」。「7.教育」の項を見てみましょう。

 「(4)学令兒童及生徒数 昭.26.4.30.現在」の表には、「小學校数1・男687・女715・計1,402」「中學校数1・男313・女331・計644」「高等學校1・男124・女34・計153」とあります。

 ここで言う「小學校」は、「水窪町立水窪小學校」のこと。当時の水窪小學校には、西浦、大地、大野、草木、有本、大嵐、門谷、河内浦、門桁に分校がありました。「学令兒童」のほぼ全員が就学していたと思われがちですが、「未就學」として「男1・女3・計4」の数字が挙げられています。今では当たり前となっている「六三制」が実施されたのは、昭和22年(1947)。同じ年に国民学校は「水窪小學校」へと変わり、分教場は「分校」へと変わっています。

 また同年創立の「中學校」は「水窪町立水窪中學校」であり、西浦、渡元、大地、門桁に分校がありました。水窪にあった「高等學校」とは同25年(1950)に開校した「靜岡縣立二俣高等學校水窪分校」であり、男女の進学率には4倍もの開きがありました。

 昭和25年度の中学校卒業生の「卒業後の状況調」によれば、男子の12人が高校へと進学しましたが、多くは農業32・林業32などの職に就き、女子の進学者は8人、農業33のほか紡織業に就いた者が35人もいたというのが、当時の世相を反映しています。

 1枚めの写真には、当時の「水窪町本町」「水窪町大里」の家並が写っています。2枚めの写真「水窪町小畑」に写っているのは、ブログ「吾亦紅(われもこう)」を開設している水口さんの「双葉美容院」の三叉路です。

 写真に写っているボンネットバスは国鉄バスでしょうか?何だか60年前の水窪から、現代の私たちの元へ近づいて来ているような錯覚にとらわれました。

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