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『日本愛國革新本義』と「村の年寄りの一団」の論理

2013/08/16 23:21


「どうせならついでに早く日米戦争でもおつぱじまればいいのに」
「ほんたうにさうだ。さうすりあ一景気来るかも知らんからな、所でどうだいこんな有様で勝てると思ふかよ。何しろアメリカは大きいぞ」
「いやそりやどうかわからん。しかし日本の軍隊はなんちゆうても強いからのう」
「そりや世界一にきまつてる。しかし、兵隊は世界一強いにしても、第一軍資金がつづくまい」
「うむ……」
「千本桜でなくとも、とかく戦争といふものは腹がへつてはかなはないぞ」
「うむ、そりやさうだ。だが、どうせまけたつて構つたものぢやねえ、一戦争のるかそるかやつつけることだ。勝てば勿論こつちのものだ、思ふ存分金をひつたくる、まけたつてアメリカならそんなにひどいこともやるまい、かへつてアメリカの属国になりや楽になるかも知れんぞ」



昭和七年、「皇国思想家」の橘孝三郎は、その著書『日本愛国革新本義』の中で、「此間、車中で純朴その物な村の年寄りの一団と乗合せました。耳傾けるともなくそれ等の人々の語り合つている話に耳傾けて、私は皇国日本の為め心中、泣きに泣かざるを得なかつた」との言葉と共に、先の「村の年寄りの一団」の会話を記録した(猪瀬直樹『ミカドの肖像』による)。


猪瀬は、このエピソードを紹介した後に、



「村の年寄りの一団」の会話は、はからずも、「アメリカの属国」として「楽に」なった現代日本の姿を予見していた。当時、橘孝三郎が嘆いたのは、この会話に、「国体」という天皇制国家の統合原理がスッポリと抜け落ちていたからだった。



…と書き添えている。



戦後の自民党政権を支えたのは、まさに、この「村の年寄りの一団」の論理であったように思われる。自民党という政党自体を、そして自民党の支持者たちを支えたのは、この昭和七年に橘孝三郎が記録した「村の年寄りの一団」のシニカルな(あるいはニヒリスティックな)リアリズムであったのではないか?









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