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「娘の身売り」が支えた「公娼制度」・前 (昭和期日本の貧困 その5-1)

2018/06/25 10:57

 

 

 「貧困層にとっては、人身売買に頼るしかなかった近代日本の現実」を、昭和9年当時の紙面から切り抜かれ、スクラップブックに残された新聞記事を通して読み解いてきた(「賣られる最上娘 (昭和期日本の貧困 その1)」、「廓模様新紅毛情史 (昭和期日本の貧困 その3)」、「十四娘を賣つた金 四十圓の家と化す (昭和期日本の貧困 その4)」参照)。

 

 

 

  小作料と年間収入を超えた額の借金にあえいでいた農民は、八年のように空前の豊作を記録した年ですら、稗や粟などの雑穀、楢や栃の実を常食とせざるを得ない生活を強いられていた。九年の凶作は、それら雑穀や木の実はおろか、草の根、木の皮、藁など口に入るものはすべて食糧にして飢えをしのがねばならなかった。岩手県では全農家の七七?が緊急の救済を必要とした。
  飢饉の影響は、まず子どもたちの上に現れた。欠食児童が急増し、間引きや母子心中が相次いだ。とくに大きな問題となったのは、娘の身売りだった。東北六県で、芸・娼妓、女給、女子工員などとして人身売買された娘の数は、九年一〇月までの一年間で五万人余にのぼった。新聞は連日のように救済を訴え、矯風会や救世軍が身売り防止運動を始めたが、口べらしと借金の返済に迫られた農村の厳しい現実の前では、ほとんど効果はなかった。
     (『昭和 二万日の全記録 第3巻』 講談社 1989  306ページ)

 

 

 現代から振り返れば、このようにまとめられる「近代日本の経験」ということになるが、スクラップブックに貼られた当時の新聞記事を介し、記者の(そして読者の)関心の在処までが、臨場感を伴うものとして甦ったのではないだろうか。

 

 「小作料と年間収入を超えた額の借金にあえいでいた農民」が凶作という状況の中で、

 

  娘一人の身代金は年期四年で五百円乃至八百円、然し周旋屋の手数料や着物代や何かを差引かれて実際親の手に渡るのは、せいぜい百五十円位だ、可愛い娘を手放しても、百五十円の金を握りたい、一つの悪風習でもあらうが、やはりそれも詮じつめると食へない苦しさからに違ひないだらう
 かうして床のない家、床があつても畳のない家々から、娘がポツリポツリ芸者に、娼妓に、あるひは酌婦に売られて姿を消してゆく、淪落の巷を流浪する最上娘の「新庄節」こそ彼女等の望郷の憶ひをこめた哀歌であると共にドン底の農村の悲しむべき生活苦を、まざまざと物語るものでなくて何だらう、然も娘を売つた親達は「凶作で米がないから、年期が明けても村の懐には帰るな」といふのだ農村の窮乏もここに至つて正視するに忍びない
     「東北の凶作地を見る」 (9.10.22 朝日)

 

  吾あ娘売る気あ夢にもなくてあつたども、周旋屋が家のわらし(娘)ど借金の□なみに眼つけで売れ売れつて四十日の間も付き纏ひした、其うちね飯米あなくなるし女房あ妊娠脚気ねなるし借金取りにや責め立てられるし、おまけね、借金の保証が女房の妹だはで、吾あ済さねば保証人の娘ば売らねまいなくなつて、とうとう売る腹ねなりした
     「十四娘を賣つた金四十圓の家と化す」 (9.12.1 朝日)

 

 このような事態に追い込まれる。「借金」の返済のために新たな借金をし、その借金と引き換えに、「娘がポツリポツリ芸者に、娼妓に、あるひは酌婦に売られて姿を消してゆく」のである。

 記者は、その状況を「娘一人の身代金は年期四年で五百円乃至八百円」と「身代金」という語を用いて表現し、「娘がポツリポツリ…売られて姿を消してゆく」と「売られて」という語を用いて記している。「東北の凶作地を見る」の記事には「賣られる最上娘」との見出しも附されているし、12月1日の記事の見出しは「十四娘を賣つた金四十圓の家と化す」である。その記事中で記者は「これが一人の津軽娘が娼妓に売られた身代金で買はれた家かと思ふと異様な汚感に襲われざるを得なかつた」との感想を記しているが、そこには「津軽娘が娼妓に売られた身代金」との認識が示されている。

 ここではまず「身代金」という語の辞書的な意味を確認しておこう。

 

  【身代金】 人身売買の代金。みのしろ。
     『精選版 日本国語大辞典』

  【身の代金】 身売りの代金。また、人身と引きかえに渡す金。
     『広辞苑』

  【身の代金】 人身売買の代金。
     『明鏡国語辞典』

 

 「人身売買」に関わる用語であることがわかる。ここで記者が「身代金(=人身売買の代金)」という語を使っているが、それは読者にも共有される認識であったはずだ。

 前回記事(「十四娘を賣つた金 四十圓の家と化す (昭和期日本の貧困 その4)」)では、安中進論文(2017)中で紹介されている昭和9年11月17日の朝日新聞記事を引用しておいたが、そこには「身賣 りの一歩手前で救はれた東北娘」、岩手県の「身賣娘を護れ」とのスローガン、「身賣り救済運動」といった表現がある。娘の「身売り」との認識が、広く共有されるものであったことを示すものと言えるだろう(「身売り」という語が示すのは、「娘」が商品として売買される状況、まさに「人身売買」の認識なのである)。

 

 当時の新聞記事の表現を通して、娘の身売り=人身売買との認識が一般に共有されたものであったことが理解されるであろう。

 

 

 

 

 大日本帝國政府は、このような状況にどのように対処していたのであろうか?

 帝國の「公娼制度」の枠組みの中で、娼妓として供給される女性を「人身売買」の犠牲者として位置付けていたのであろうか?

 

 

 まず、ここでは帝國以前、すなわち近代以前の近世遊郭が、西欧的価値観からどのように認識されていたのかを確かめておきたい。

 

 関口すみ子「近代日本における交渉性の政治過程――「新しい男」をめぐる攻防――」(2016)に興味深い記述がある。

 

  注目すべきことに、大英帝国の初代駐日公使オールコックが、『大君の都』(1863)で、日本にこのことを付きつけていた。一八四三年にアモイの領事館に勤務して以来、中国各地のイギリス領事を歴任していたオールコックは、一八五九年に初代駐日総領事・公使として来日し、帰国後、この書を世に問うたのである。
  その中で、日本では「父親が娘に売春させるために売ったり、賃貸ししたりして、しかも法律によって罪を課せられないばかりか、法律の許可と仲介をえているし、そしてなんら隣人の非難もこうむらない」、「日本では人身売買がある程度行われている。なぜなら娘たちは、一定の期間だけではあるが、必要な法律形式をふんで、売買できるからである。少年や男についてもそうであろうと私は信じている」と「人身売買」を批判していた。
  同様に、「合法的な蓄妾制度のある国で、どうして家庭の神聖さを維持できるのかわたしにはわからない。しかもこの神聖さがなければ、国家的成長と威厳や国家的進歩と文明の基礎は、欠けているか侵されているに違いない」と、「蓄妾制度」を批判していた。

 

 これが幕末の日本への、外部からの(「文明」を自称する側からの)視線であった。明治政府は、このような視線への対応を迫られたのである。関口論文では、まず1870(明治3)年の「新律綱領」の条文が示されている。

 

  一八七〇年一二月領布の新律綱領(全一九二条)では、賊盗律中に「略売人」の条が設けられた。それは娼妓に略買する罪から始まる(「凡人ヲ略売シテ娼トスル者ハ、成否ヲ論セズ、皆流二等、妻妾奴婢トスル者ハ徒二年半」)。人をかどわかして娼妓に売り飛ばすことを固く禁じたのである。

 

 続く明治初年における対応については、山中至「藝娼妓契約と判例理論の展開」(1992)から引いておこう(まず取り上げるのは、「明治五年一〇月二日太政官第二九五號布告」である)。

 

   一人身ヲ賣買致シ、終身又ハ年期ヲ限リ其主人ノ存意ニ任セ虐使致シ候ハ、人倫ニ背キ有マシキ事ニ付古來制禁ノ處、從來年期奉公等種々ノ名目ヲ以テ奉公住爲致、其實賣買同樣ノ所業ニ至リ以ノ外ノ事ニ付、自今可爲嚴禁事
   一農工商ノ所業習熟ノ爲メ弟子奉公爲致候儀ハ勝手ニ候得共、年限滿七年ニ過ク可カラサル事。但雙方和談ヲ以テ更ニ期ヲ延ルハ勝手タルヘキ事。
   一平常ノ奉公人ハ一ヶ年宛タルヘシ、尤奉公取續候?ハ證文可相改事。
   一娼妓藝妓等年季奉公人一切解放可致、右ニ付テノ貸借訴訟總テ不取上候事。
   右之通被定候條屹度可相守事。


  この布告は人身の賣買禁止を確認し、年季奉公に名を借りる賣買同様の所行を禁止する。また娼妓・藝妓等の年期奉公人は一切解放し、これら奉公人と抱主との間の貸借関係は裁判所で取り上げないというものである。一週間後の同月九日にはいわゆる「牛馬きりほどき」と稱された司法省第二二號によって、


   本月二日太政官第二百九十五號ニ而被仰出候次第ニ付、左之件々可心得事。
   一人身ヲ賣買スルハ古來ノ制禁ノ處、年季奉公等種々ノ名目ヲ以テ其實賣買同樣ノ所業ニ至ルニ付、娼妓藝妓等雇入ノ資本金ハ贓金ト看做ス故ニ、右ヨリ苦情ヲ唱フル?ハ取糺ノ上、其金ノ全額ヲ可取揚事。
   一同上ノ娼妓藝妓ハ人身ノ權利ヲ失フ?ニテ牛馬ニ異ナラス、人ヨリ牛馬ニ物ノ返辨ヲ求ムルノ理ナシ、故ニ從來同上ノ娼妓藝妓ヘ借ス所ノ金銀並ニ賣掛滯金等ハ一切債ルヘカラサル事。但シ本月二日以來ノ分ハ此限ニアラス。
   一人ノ子女ヲ金談上ヨリ養女ノ名目ニ爲シ、娼妓藝妓ノ所業ヲ爲サシムル?ハ、其實際上則チ人身賣買ニ付、從前今後可及嚴重ノ所置事。


 抱主と奉公人間の金銭貸借關係について、解放した藝娼妓に対する債權は無効であると指示される。

  さらに明治八年八月一四日に太政官は第一二八號布告を以て、借金について人身を抵當とすることを厳禁する。


   金銭貸借ニ付引當物ト致候ハ、賣買又ハ譲渡ニ可相成物件ニ限リ候ハ勿論ニ候處、地方ニ寄リ間ニハ人身ヲ書入致候者モ有之哉ノ趣、右ハ嚴禁ニ候條、此旨布告候事。但期限ヲ定メ工作使役等ノ勞力ヲ以テ負債ヲ償フハ此限ニアラス。


  しかし他方で、政府としては人身賣買を禁止し、藝娼妓を解放しても、賣春を禁じ、遊郭を廃止する意思は毛頭なかったのであり、従来のように遊女屋が遊女を抱えて營業するのではなく、貸座敷業者が自由意思による獨立した娼妓に座敷を貸すという形式に改め、解放令の直後には、各府懸に「遊女營業規則」・「娼妓藝妓席貸規則」・「貸座敷渡世規則」・「娼妓規則」・「藝妓規則」等を定め、藝娼妓渡世については、地方官が管理するところとなった。これは藝娼妓の公認でもあったから、先の藝娼妓解放令と矛盾するものであり、このような矛盾の中で、多くの藝娼妓関係の訴訟が發生したことが當時の判決原本から窺えるのである。

 

 「人身売買」の禁止が布告されはしても、実際のところは「従来のように遊女屋が遊女を抱えて營業するのではなく、貸座敷業者が自由意思による獨立した娼妓に座敷を貸すという形式に改め、解放令の直後には、各府懸に「遊女營業規則」・「娼妓藝妓席貸規則」・「貸座敷渡世規則」・「娼妓規則」・「藝妓規則」等を定め、藝娼妓渡世については、地方官が管理するところとなった」のである。

 クローズアップされたのは娼妓となる者の「自由意思」であり、特に「廃業の自由」の有無であった。

 ここでは、眞杉侑里「「人身売買排除」方針に見る近代公娼制度の様相」(2009)により、問題を整理してみたい。

 

  東京府に於ける「娼妓規則」と内務省令である「娼妓取締規則」とは、制定母体も発布年度も異なるもの(前者は1873(明治6)年東京府令第145号、後者は1900(明治33)年内務省令第44号)であるが、娼妓取締規則以降もその細部については「本令ノ外必要ナル事項ハ庁府県令ヲ以テ之ヲ定ム」ことになっており、両者(地方規則と娼妓取締規則)は共存するものであって、その条項にも共通点を見ることができる。その中でまず注目すべきは娼妓規則第一条に於いて「娼妓渡世本人真意ヨリ出願之者ハ実情取糺シ候上差許シ鑑札可相渡」との記載が為されている点である。これは「娼妓本人の意思による届出」に対して就業許可を与えるという規定であり、娼妓取締規則に於いても「娼妓名簿ノ登録ハ娼妓タラントスル者自ラ警察官署に出頭し(中略)書面ヲ以テ申請スヘシ」とした第3条に明記されている。この条文は、娼妓就業に際してそれが当人の意思によることを明示する事によって娼妓解放令の禁止する人身売買的要素を排斥する為のものであると理解できる。更に娼妓取締規則に於いては「娼妓名簿削除申請ニ関シテハ何人ト雖妨害ヲ為スコトヲ得ス」との条文が定められており、廃業手続きについては「娼妓名簿削除ノ申請ハ書面又ハ口頭ヲ以テスヘシ」と口頭という簡素な手段を含める事によって廃業の自由を確保、「就業の自由意志」の強化が図られている。
  しかしながら、当人の自由意思が確認された場合であってもすべての人に娼妓稼業許可が与えられるものでは無かった。娼妓就業の条件として「個人の自由意志」以前に「十五歳以下之者ヘハ免許不相成候事(娼妓規則第1条)」、或いは「十八歳未満ノ者ハ娼妓タルコトヲ得ス(娼妓取締規則第1条)」という年齢制限が設けられており、これを満たさない場合には就業は適わない。また、就業後であっても「毎度両度ツツ医員之検査ヲ受ケ其指図ニ従フヘシ病ヲ隠シテ客ノ招ニ応シ候儀決シテ不相成候事(娼妓規則第6条)」と毎月の診療が義務付けられており、この規定は娼妓取締規則に於いても「娼妓ハ庁府県令ノ規定ニ従ヒ健康診断ヲ受クヘシ(第9条)」、「警察官署ノ指定シタル医師又ハ病院ニ於テ疾病ニ罹リ稼業ニ堪ヘサル者又ハ伝染性疾患アル者ト判断シタル娼妓ハ治癒ノ上健康診断ヲ受クルニ非サレハ稼業ニ就クコトヲ得ス(第10条)」という条項に引き継がれている。
  以上に挙げた他にも居住制限や罰則事項などの条文を見る事が出来るのであるが、娼妓自体に関する規定は概ね次の3点に集約することが出来る。
  1、娼妓就業は当人の意思によるものであり、登録が義務付けられる
  2、一定年齢以下については就業を認めない(「娼妓規則(東京府)」では十五歳以下、「娼妓取締規則(内務省)」では18歳未満の就業を禁止)
  3、医療検診が義務付けられ、疾患が認められる場合は娼妓稼業の停止する事


 これが、「藝娼妓渡世」をめぐる制度的枠組みであった。付け加えれば、

 

  この人身売買の禁止に関しての規範は1898年娼妓解放令が廃止になって以降は民法90条「公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ反スル事項ヲ目的トスル法律行為ハ無効トス」がこれを引き継ぐ形となる。

 

すなわち、昭和戦前期において、「人身売買」は「公序良俗」に反する所業として位置付けられるものとされてはいたのである。その枠組みの中で、しかし、「娘の身売り」は当時の現実であり続けた。

 

  床のない家、床があつても畳のない家々から、娘がポツリポツリ芸者に、娼妓に、あるひは酌婦に売られて姿を消してゆく

 

  借金の保証が女房の妹だはで、吾あ済さねば保証人の娘ば売らねまいなくなつて、とうとう売る腹ねなりした

 

 

 

 制度的枠組みとしては「人身売買」は排斥されていたはずだが、当時の一般的な理解としては、家族の困窮の中で「娘の身売り」にまで追い込まれる人々が存在していた。当時の新聞記事を読むことで、「身売り」すなわち「人身売買」との認識が一般的には共有されていたことは既に確認したはずだ。

 

 一方で、大日本帝國政府は「公娼制度」の下での「人身売買」を否定し、司法判断の中でもそれは維持されていた。そこに、新聞記事から読み取れる世間一般の認識と政府・司法の認識の乖離が見出せるであろう。なぜ、そのような事態が生まれていたのか?

 まず、当時の政府の認識と司法判断の理路について知る必要がある。

 

 

 近代の「公娼制度」と呼ばれるものは、山中論文に示されているように、「遊女屋が遊女を抱えて營業するのではなく、貸座敷業者が自由意思による獨立した娼妓に座敷を貸すという形式」によるものであった。「独立した娼妓」の「自由意思」は、形式的には娼妓志願者自身による娼妓名簿への登録により確認されることになる。

 しかし、問題は、そこに金銭が(金銭の貸借関係が)どのように介在しているのかにある。金銭の貸借関係が、稼業契約に拘束的に働いていたかどうかが問題となる。

 

  吾あ娘売る気あ夢にもなくてあつたども、周旋屋が家のわらし(娘)ど借金の□なみに眼つけで売れ売れつて四十日の間も付き纏ひした、其うちね飯米あなくなるし女房あ妊娠脚気ねなるし借金取りにや責め立てられるし、おまけね、借金の保証が女房の妹だはで、吾あ済さねば保証人の娘ば売らねまいなくなつて、とうとう売る腹ねなりした

 

 当時の新聞紙上に残されたこのエピソードについて考えてみよう。

 「娘」の父が受け取る金銭は、周旋屋を介している(「身代金は五ヶ年の契約で四百五十円だつたが、…、周旋料だといつてブローカーに廿二円五十銭」となる構図)が、貸座敷業者との貸借契約により提供されたものであり、父による貸座敷業者への借金(「前借金」と呼ばれる)となる。

 「娘」は、「娼妓取締規則」の枠組みの中で娼妓登録をすることで娼妓として公認され、前借金を提供した貸座敷業者との間に「娼妓稼業契約」をすることで、貸座敷業者の下で娼妓稼業をし、その稼ぎを前借金の返済へ充てるのである。

 公的枠組み(たとえば東京府の娼妓規則であり、内務省の娼妓取締規則がある)の中での娼妓登録と、私的関係(娘とその家族に対する貸座敷業者)の中での金銭貸借契約と娼妓稼業契約がある。人身売買問題との関連において、娼妓登録については当人の自由意思が問題となるだろうし、金銭貸借契約と娼妓稼業契約が連動する中での人身売買要素が問題となるであろう。





          (続く)







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最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2018/06/25 11:04
    (文字数が規定量を超えたので分割掲載・後編へ続く)

  • Comment : 2
    umasica :桜里
     2018/06/25 11:06
    (文字化け全開でございますね)

  • Comment : 3
    umasica :桜里
     2018/06/25 12:07
    前後編をまとめて、
    ココログ版の「現代史のトラウマ」記事としてもアップ。


     「娘の身売り」が支えた「公娼制度」 (昭和期日本の貧困 その5)
     http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-ebce.html

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