umasica :桜里さんのマイページ

隣のゴキブリの考え、そして神の考え

2008/05/01 22:03

ゴキブリの考えについて考えることは出来る。

しかし、ゴキブリが何を考えているのか、あるいは何を考えていないのかを知ることは出来ない。


ゴキブリになってみるしかないだろう。


しかし、残念ながら、私たち人間は、人間以外の存在になることは出来ない。ゴキブリになってみることは出来ないのだ。


つまり、ゴキブリが何を考えているのか、あるいは何を考えていないのかについて、私たちが人間である以上、知ることは出来ない。

それを「残念」と思うかどうかは、人それぞれではあろうが。




ゴキブリどころが、電車の隣の席に座っている人物が何を考えているのか、あるいは何を考えていないのか、それを知ることすら出来ない。

まぁ、聞いてみればよいわけではあるが、唐突にそんな質問を投げかける隣席の怪しげな人物に、真実が語られるという保証もない。


それどころか、自分が何を考えていたのかわからない、と、後になって振り返ってみれば痛感させられるような経験も珍しいものではないだろう。

自分が何を考えているのかいないのかさえ、実のところ、よくわかっていなかったりするというわけだ。




…となると、ゴキブリになってみても、ゴキブリが何を考えているのか、あるいは何を考えていないのかを知ることが出来るかどうか、本当のところ、何の保証もない、ということになってしまう。

ゴキブリの考えを知りたいからといって、むやみにゴキブリにはならない方がよいだろう。

それに、ゴキブリになって、ゴキブリの考えを知ることが出来たにしても、隣のゴキブリが何を考えているかは、当のゴキブリには知る由もないことなのだ。


結局、自分以外の存在の考えを知ることは困難であり、それどころか自分自身が何を考えているのかについて正確に把握することすら困難なのである。




実際、このような日記を書き継いで来てみてわかることであるが、神という存在について、肯定するにせよ否定するにせよ、信じるにせよ信じないにせよ、日常的に語ることは出来てしまっているのではあるが、実のところ、神について深く考えたことなどないのである。


誰がこれまでゴキブリ姿の神の存在の可能性について考えただろうか?

人間にとっての神の存在についてではなく、ゴキブリにとっての神の存在について考えたことがあるだろうか?

ゴキブリ姿の神について考えた経験がないということ、ゴキブリの神について考えたことがないということ、それは人間にとってという視点を超えて神を考えたことがないということの証明である。


神を人間にのみ関連付けて考えてしまうということを、神の存在の可能性の矮小化である、そのように私は考えるのだ。

神は人間のためだけの存在なのであろうか?


まぁ、そうなのかも知れないが、なんともスケールの小さい神だなぁ、と、私としては思わずにいられない。

素粒子レベルにも神は存在し、大宇宙にとっての神も存在し、大腸菌にとっての神、ゴキブリにとっての神、そして人間にとっての神…

あらゆるスケール・サイズのレベルにおいて、神は存在するはずではないか!

その神が、それぞれにとっての個別の神であるのか、すべてがひとつの神の現れ方の違いであるのか、それもまた、よくわからないことではある。

考えてわかかること、わかりうることであるのかどうか、それはわからないわけだが、考えてみて面白いことではある(私にとっての話であるに過ぎないにしても)。


Binder: いぢわる、あるいは神の姿(日記数:2149/全体に公開)
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最新コメント

  • Comment : 1
    Mr.Dark
    Mr.Darkさん
     2008/05/02 01:30
    ある夜、あなたはネット・ブログへの投稿を終えて、寝酒で洋酒をチビリとヤっている。
    喉が渇いたので台所へ飲み物を取りに向かったのだが、そこで思わぬ“物体”に遭遇した、とします。
    なにやら黒い塊が蠢いています。
    はて、ネズミか?と思いながら、恐る恐るその“物体”に近づいて…
    よく見たら、それは人間の手のひらほどの大きさの巨大ゴキブリ!
    だったとします。
    そいつは‥カサカサ‥という人目を憚る控え目な動きではなく、のっしのっしと歩いているのです。
    さぁ、大変だっ!
    あなたはそこに“悪魔”を見い出すに違いない!?
    その状況下に於いて“神”は不在であります。

    ‥ありえない?


    南米のある地域には、体長18cmを越すゴキブリが生息しているそうな。
    そこの現地の原住民にとっては“日常”の物体でも、それを知らないヒトにとっては『悪夢』であります。

  • Comment : 2
    たぬき男いたち男
     2008/05/02 08:14
    昔、若い頃の「私」は1軒のボロ屋敷に住み、貧困生活を送って
    いたが、最大のテーマは「神」だった。当時の、汲み取り式の便
    ツボには大量の「ウジ」が湧き、「私」は「ウジ」殺しの薬液を
    貰って撒き散らしたが、その時自分が「ウジ」虫にとって「神」
    である事を考えた。生殺与奪の権を持つ「私」は非情にも毒液を
    便ツボに投げ込んで、環境から「ウジ」を排除した。「人間」に
    とっての「神」も又、しばしばそうした存在にあるのではないか
    ・・・と「私」は感じた。ゴキブリに至っても同様だ。深夜台所
    を徘徊する「彼ら」に対して「私」はスプレー式の毒液を撒き、
    断末魔の苦痛の中で死ぬ「彼ら」を爽快に感じた。やはり「神」
    なのだ。この様に「人間」も取り扱われる以上、「神」は「神」
    なのである。「桜里氏」の眼光は、実に鋭く問題を捉えている。

  • Comment : 3
    たぬき男いたち男
     2008/05/02 09:48
    或るいはF.カフカの作品「変身」に於ける「ゴキブリ」問題は
    余りにも有名だ。或る朝、目を覚まして見ると自分は1匹の巨大
    な「ゴキブリ」になっている。母親も妹も自分を叩き殺そうと、
    必死になっている。この不条理劇の意図する所はともかく、嫌悪
    と恐怖をもたらす「ゴキブリ」が、無実である事は明白なのだ。
    なにも好き好んで「ゴキブリ」に産まれた訳ではなくとも、ただ
    「ゴキブリ」であると云う事だけで、排除の対象となってしまう
    この不条理さは、理不尽なものだ。「ゴキブリの神」は「彼ら」
    をなぜ、かくも貶め虐めるのか。「ゴキブリ」には「神」が存在
    しないと考えた方が自然だ。ではなぜ「人間」に・・・?と考え
    は果てしなく続く。やはり「なにも考えない」のが宜しかろう。

  • Comment : 4
    たぬき男いたち男
     2008/05/02 12:21
    「神」が「イレコ」になっている事は認めよう。確かに「神話」
    の世界で語られる「神」同士の争い事のスキャンダルは、なにか
    と多く耳にする話である。「神仏混交」等とも云うし、この宇宙
    「ゴキブリ」の「神」から「ナメクジ」の「神」まで大小様々な
    「神々」の、怒号と悲鳴とで満ちているのかも知れん。 

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