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アヤン・リンポチェとインド・ブッダガヤのポワコース(1999)

2018/08/10 13:48

・インドへの出発

 キャンセル待ちだったデリーへの航空券がようやくとれたのが一週間前、それからあわただしく荷造りして、十二月二十四日の朝に成田空港に行くと、デリーの空港が天候不順で閉鎖されており、搭乗するはずの飛行機がインドから戻ってきていないということで、出発は夜に変更に。近くのホテルで待機させられ、結局、出発は翌日ということになって、私の生まれてはじめてのインド旅行は、先行き不安な幕開けとなりました。

 二日滞在したデリーでは、国立博物館を見学しました。ここには、ピプラワーで発掘されたお釈迦様の本当の遺骨だという仏舎利があります。以前、本などで見たように化石標本のように展示されているのではなく、タイ国政府から寄贈された、黄金で造られダイヤモンドで飾られた塔の中に納められていましたが、いざ目にすると、自分でも驚くくらい、ショックを受けてしまいました。

 仏舎利については、チベット仏教でも日本仏教でも、宙から出現したとか、祈ると増えたとか、どんな硬い金属で叩いても壊れないとか、様々な奇跡が説かれています。信仰心の篤い人なら、本物の仏舎利を拝むことができたと感激にむせぶのかもしれませんが、私は、そこにあるのはただの骨片だという事実に圧倒され、逃げるかのようにその場を立ち去りました。しかし広い博物館の中をうろうろ歩き回っても、展示物はろくに目にはいらず、どんな素晴らしい仏像や仏画を前にしても、これらはみんな偽物だ、本当の仏陀はあの骨だ、骨なんだという思いが離れませんでした。これはガンダーラ仏、この仏像はナーランダー出土と、鑑賞する余裕ができたのは、しばらくたってからでした。

・ブッダガヤ到着

 十二月二十七日ニューデリー駅朝六時発の急行は、当然のように遅れて昼十二時の出発となり、その後も列車は遅れつづけて、ガヤ駅到着は翌朝でした。夜になって外は真っ暗、周りの乗客は皆眠ってしまって、今どこを通っているのか、あとどれくらいかかるのかといったことがまったくわからず、不安な一夜でしたが、どうにかこうにかブッダガヤまで辿り着くことができたわけです。

 宿(ゲルク派のゲストハウス)に荷物を置き、ともかくお釈迦様がさとりを開いた、大菩提寺(マハーボーディテンプル)だけは参拝しなければと考えたのですが、強く止められ(極度に緊張していて自覚はなかったのですが、顔色が悪かったそうです)、一休みして、夜になってからお寺を案内してもらいました。

 この夜見た光景を私は一生忘れることはないでしょう。月明かりと照明の光が交錯する中、ストゥーパが巨大な姿を浮かびあがらせており、その裏に回ると、お釈迦様がさとりを開いた場所を示す金剛宝座と菩提樹があります。ここ数日の霧がかかった天候(これが飛行機の遅れの原因にもなった)もあってか、遠目に見てもしっとり潤った菩提樹は、生命力に満ち溢れていました。実際にはストゥーパの方がはるかに大きいのですが、私には、むしろ菩提樹がストゥーパをしっかりと包み込み、それどころか、この聖地ブッダガヤ全体に根をはってその生命を支えているようにすら感じられました。

 ストゥーパの基壇には様々な仏像がまつられており、巡拝できるようになっています。中でも有名なのが、願いをかなえるといわれているタラ菩薩の像です。私のおこないが悪いためか様々な障害はあったものの、こうして辿り着くことができたのは、タラ菩薩のご加護があったからかもしれません。そういえば、デリーの国立博物館で元気を回復したのも、初転法輪の地サールナート出土というタラ菩薩の像を見つけてからでした。

 この後、ポワコースのおこなわれるテントに行くために毎日通うことになった大菩提寺ですが、この夜が最も印象的でした。また、菩提樹の下の金剛宝座にお参りするたび、菩提樹と仏舎利、柵の中の読経とその外の物乞いの声、きらびやかな寺院の中の仏像と皮膚病にかかった道端の犬たち、今の私にとってはあまりにも対照的なそれらを同じものとして見ることのできる日がいつ来るのだろうかと思わずにはおれませんでした。

・ポワコース

 大菩提寺では、ちょうどカギュ派のモンラムがおこなわれていた他、たくさんのチベット僧が修行しており、五体投地をする中には、少数ですが外国人の姿もまじっていました。自分もやってみたいという衝動にかられましたが、今回の目的はポワコースに参加することだ、しかもそのすぐ後帰国して翌日から仕事があるのだから、体力を考えなければいけないと思いとどまり、毎朝、お経をあげ金剛薩?の瞑想をして灌頂を受けた仏菩薩の真言を唱える他は、チベット(ゲルク、ニンマ、カギュ、サキャの四大宗派のお寺がすべてある)、中国、タイ、ブータン、日本など、世界各地の仏教のお寺巡りをして過ごしました。その内、アヤン・リンポチェも到着され、新しい年を迎え、いよいよポワコースがはじまりました。

 ポワコースが開かれたのは、大菩提寺に隣接する公園の中に建てられた巨大なテントの中で、大菩提寺の一番外側をめぐる巡拝路を通って行くようになっていました。初日の一般講演の際にすでにテントから人が溢れており、その後も、たまたまブッダガヤを訪れてポワの伝授がおこなわれているのを知ったのか、参加者は増えつづけ、最終的には四〜五〇〇人位になりました。その内、約一割はアメリカやドイツのセンターからの団体を含む西洋人でしたが、大半はチベット人で、服装などから推測して、チベット本土からの巡礼者も少なくないようでした。私は、出発が決まったのが直前だったことや、通訳が英語であることばかり気を取られて、チベット語の準備をまったくしなかったため、彼らとはほとんど話をすることができなかったのですが、チベット語のできる西洋人が会話しているのを側で聞くと、ラサから来た、アムドから来た、などと答えているようでした。

 ポワコースは二日から十四日まで、毎日朝八時から夜八時までおこなわれました。基本的には日本でおこなわれるのと一緒で、阿弥陀仏の灌頂とニンマ派とディクン・カギュ派のポワの伝授を中心としたものですが、日本では日程の都合で省略されることの多い(私が受けるのははじめて)金剛薩?の灌頂と、多分日本ではおこなわれていないヴァジュラヨギーニの灌頂があり、また、毎日日暮れ刻には、菩提樹の前で極楽往生の祈願文を唱え、リンポチェと一緒に阿弥陀仏の真言を唱えながらストゥーパの周りを巡りました。

 私にとって最も印象的だったのは、ヴァジュラヨギーニの灌頂で、教えの内容も深遠で、加持の力も物凄いものでした。また、毎日の祈願文の読誦は、ありがたさに思わず涙がこぼれてしまうほどで、その後のストゥーパを巡る際も、日を重ねて疲労困憊してきても、力強く真言を唱えながら先頭を歩くリンポチェのグループに近づくと、声はすっかり涸れてしまっているのに、不思議と力が沸きあがってきました。

・チベット人巡礼者

 中国統治下のチベットでは、文革の際のような破壊こそおこなわれなくなっているものの、仏教修行にはいまだに様々な制約があります。アヤン・リンポチェもチベット本土にわたって教えを説きたいというお気持ちを以前から強く持っておられますが、個人的な入国は可能なものの、トゥルクとして教えを説くことは困難だと伺っています。このポワコースは、はるばるヒマラヤを越えてブッダガヤに巡礼に来たチベット人にとって、この上ない贈物になったことでしょう。リンポチェも彼らに「毎年この時期にブッダガヤでポワの伝授をおこなっているので、故郷に戻ったら、周囲の人にこのことを伝えるように」とおっしゃっていました。

 消費大国日本では、チベットではそれを守るために大勢の人が命を落としたダルマすら、その場かぎりの消耗品として消費されてしまいかねません。それに対して、チベット人にとって、ポワの教えは無始の過去から繰り返してきた輪廻から解脱できる最短の道であり、「三宝」(クンチョク・スム)というのはけっして比喩ではなく、文字通り無上の宝です。ポワのルンの伝授の際は、あちこちから感動のあまり号泣する声があがり、夜などかなり寒くなるにもかかわらず、老人やアニ(尼)達も、毎日毎日、熱心に教えを聞き、一所懸命修行していました。二週間という限られた期間ですが、彼らのような、リンポチェに対してもその教えに対しても心から敬意の念を抱いている人達と一緒に修行できて、本当によかったと思います。

 私の祖父は、私が小学校の時に亡くなっているのですが、浄土真宗のお寺の檀家総代を勤めた熱心な仏教徒で、仕事を引退してからは、まだ一ドル=三六〇円で海外旅行が容易でなかった時代に何度もインドの仏跡を訪れており、ネパールやアフガニスタンにまで足をのばしていました。私はブッダガヤで教えを受けながら、子供のころ、祖父からフッダガヤの写真や菩提樹の葉を自慢気に見せられたことを思い出していました。

・思ったこと

 日本に帰ってから、何人かの方から、ブッダガヤのポワで何か特別な体験をしたかと尋ねられたのですが、正直なことを言うと、ポワの瞑想に限っていえば、日本での二回を入れて三回受けたポワのうち、圧倒的に今回の出来がわるかったです。考えてみれば当然の話で、いくらブッダガヤが聖地であろうと、海外旅行の経験のほとんどない私が、通訳の英語をなんとか聞き取ろうと神経を集中させ、地面に藁を敷いてシートをかけただけの所に座り、平衡を保とうとして体のあちこちに緊張が生じてしまうという状態で、うまく瞑想できるわけがありません。日本語が通じ、冷暖房も効き、おみやげ売りにも物乞いにもつきまとわれず、交通機関で生命の危険を感じないですむ日本でポワの伝授を受けることができるということが、どれだけ恵まれたことか、つくづくわかりました。

 もちろん阿弥陀仏の慈悲は、チベット人日本人、善人悪人を問わず、一切の衆生に注がれています。またチベット仏教がチベット人だけのものというわけでもないでしょう。しかし私のような日本人が日本に居ながらにしてポワを受けることができるのに、チベット人、特にチベット本土の人たちがはるばるヒマラヤを越えてブッダガヤに巡礼に来てようやくアヤン・リンポチェのポワを受けることができるというのは、あまりに理不尽です。一緒に教えを受けていて、彼らのために何かできることはないか、自分だけが恵まれた状況にいて平然としていては、(仏教の教義がどうこう以前の素朴な感情として)罰が当たると、心から思いました。

 また、チベット寺院がまだ建設されていない日本では、私のような怠け者などは、たった十日間のポワ講座を受けただけで、ついつい自分が修行した気になってしまいます(日本仏教のお寺の方はもちろん別でしょうが)。ブッダガヤに来て、それがどんな思い上がりだったかということを、痛感させられました。大菩提寺を通る際に見かけるチベット人の中には、毎日毎日、五体投地をしながらストゥーパの周りを回っている人もいました。その人は私がブッダガヤに着く前から五体投地をしていたのでしょうし、ブッダガヤを去った後も五体投地を続けるのでしょう。その自分のすべてをダルマに対して投げ出し、全身で帰依を表わす姿を見て、私が帰依と思っていたものは帰依でも何でもなかったんだ、仕事や安楽な環境に溺れ、たまに思い出したように瞑想をしたり教えを受けたりするだけの今の自分にできるのはせいぜいリスペクトであって、リフュージ(帰依)にはほど遠いものだということがよくわかりました。

 このブッダガヤのポワコースは、世界各地のリンポチェの弟子や生徒の寄付によって運営されています。今回のスポンサーは香港とカナダ・バンクーバーの中国人でしたし、前回はドイツの人達だったそうです。日本では布施が、菩提心に基づいた行為というよりも、加持を受けることへの代価や自分の名誉欲を満たすためのものになってしまっていますが、本来、布施はお寺への寄付に限ったものではなく、大乗仏教の修行の根本である六波羅蜜のひとつです。今回、人々の寄付によってリンポチェが説かれた教えを受けることで、数百人もの人たちが無上の幸せを感じるのを目の当たりにし、真の意味での帰依は不可能な俗人である今の自分にとって、わずかではあっても世俗の仕事の収入のいくらかを布施することが、世俗の仕事の時間をダルマから切り離されたものにしないための重要な修行であることが納得できました。

 今回の旅は、私にとって、何かを得たというよりも、日頃の自分を反省させられることの方が多かったように思われます。といって別に自分を卑下しているわけでも、ブッダガヤに行ったのを後悔しているわけでもなく、いくらかでも反省できたこと自体、大きな収穫だったと考えています。

 この旅では、様々な方にお世話になりました。私のような英語もろくにしゃべれず海外旅行の経験もほとんどない者が、無謀としかいいようのない旅に出かけて、無事帰ってこられたのは、それらの方々のおかげです。この場を借りて、心からの感謝の念を捧げたいと思います。


『チベット文化研究会報』23巻2号(1999年4月)掲載(原題「ポワコースinブッダガヤに参加して」)


Binder: ナーガールジュナ仏教研究所(日記数:99/全体に公開)
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