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高屋窓秋の「白い夏野」(七)

投稿者:nangouanさん  2008/06/03 13:13  MLNo.1164   [メール表示]

高屋窓秋の「白い夏野」(七)

山鳩

○ 山鳩のふと鳴くこゑを雪の日に
○ 山鳩よみればまわりに雪がふる
○ 雪ずりぬ羽音が冴えて耳に鳴り
○ 鳩ゆきぬ雪昏(く)れ羽音よみがえる

掲出の二句目が夙に知られているものである。この窓秋の句について、石田波郷は次のような鑑賞文を残している(『俳句講座六』)。

☆「山鳩」の句は(掲出二句目)、雪と山鳩の二つのイメージを、彼が頭の中でさまざまに構成して見せた連作の一句である。しかし他の三句が忘れられても、この一句だけは、その確かな具象性と美しい抒情によって、代表句として残るのである。鑑賞者はわがままだが、同時にきびしいともいえるのである。山鳩の栗胡麻色の羽が、周囲から浮き出して目にうつる。「山鳩よ」という呼びかけは、読者の頭の中に山鳩を呼び出すはたらきをする。「みればまわりに雪がふる」その山鳩の羽色をかすめるように、しんしんと雪が降りつつみはじめたではないか。

 また、波郷は、窓秋について、このようにも記している。

☆私(波郷)は、窓秋が喫茶店でモーツァルトなどを聴きながら、一枚の原稿紙に丹念な文字で一句一句製図でもひくように創り出すのをいつも見ていた。 時には五句の字数までが揃って、五句の文字が縦も横も綺麗に並んでいたこともある。そうするために字数を揃えるべく句を直すことさえあった。連作という新しい詩形がほんとうに必要なのは、結局は窓秋ただ一人だったのである。

これらの波郷の鑑賞文に接して、窓秋と全くの同時代の、詩人で建築家であった、四季派の立原道造が思い起されてくる。窓秋は明治四十三年の生れ、道造は大正三年の生れで、道造が後輩であるが、窓秋が俳壇と訣別して遠く満州の地に赴任した翌年の昭和十四年に、二十四歳という若さで他界している。道造の詩には、若い人のみが許される、「若々しい希望と若々しい愛とそれらを追い求め続ける夢」とが、美しい、波郷の言葉でするならば、「一枚の原稿紙に丹念な文字で一句一句製図でもひくように」創作されている。そして、窓秋の、二十六歳の時に刊行した、窓秋の青春の句集『白い夏野』は、これは、まぎれもなく、窓秋の、その陰鬱な時代の到来する夜明けの、若き詩人だけが許される透明な詩心で把握した、「夢みたもの」の、「一枚の原稿紙に丹念な文字で一句一句製図でもひくように」創作したものの痕跡のように思われてくるのである。この窓秋の「山鳩」は、次の道造の「優しき歌」の、その「夢みたものは……」の、その「青い翼の一羽の 小鳥」のように思えるのである。

夢みたものは……  立原道造

夢みたものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある

日傘をさした 田舎の娘らが
着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊りををどつてゐる

告げて うたつてゐるのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたつてゐる

夢みたものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と


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