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パレスチナ人記者の物語  2008/07/12

差出人: 山本史郎さん
送信日時 2008/07/12 21:54
ML.NO [URUK_NEWS:1903]
本文:

URUK NEWS イラク情勢ニュース           (転送・紹介歓迎)
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2008/07/12 (土)

        ※ きょう紹介する主な内容 ※

☆パレスチナ人記者の物語 2008/07/12
☆ありがとう&お願い

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☆★パレスチナ人記者の物語−−自らの文化に愛着を持っているのか?
  `Do you have love in your culture?
ダール・ジャマイルの中東速報 2008年7月6日付
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http://dahrjamailiraq.com/hard_news/archives/palestine/000821.php

** Dahr Jamails MidEast Dispatches **
** Visit the Dahr Jamail website http://dahrjamailiraq.com **


 (読者の皆さんへ −− これは2008年7月3日付の仏紙ルモンドに掲載
された同じタイトルの記事に、さらなる情報を加筆したものである。)

 ムハンマド・オメルと私は6月16日、ロンドンでマーサ・ゲルホーン賞を受
けとった。オメルは24歳のパレスチナ人であり、授賞式において、私はこの賞
を彼と分かちあったことを誇りに感じていると聴衆に話した。生地ガザから伝え
られる彼の仕事は、平和のモデルであったり、イスラエルとの和解であったり、
人道主義的なルポルタージュの烽火(のろし)となってきた。

 しかし授賞のためにオメルがロンドンに行くことは、ほとんど不可能であった
。私は授賞の話を聞いたとき、サンフランシスコから航空便を予約し、その飛行
機に搭乗した。それとは対照的に、オメルは出国ビザを取ることさえ一苦労だっ
た。彼の自宅はイスラエルのブルドーザーに潰され、彼の7人の兄弟姉妹はイス
ラエルの占領軍によって、ほとんどが殺されるか重傷を負わされた。授賞式に出
席していたベテラン記者のジョン・ピルガーは、授賞式にむかうオメルの旅を、
「授賞のためにムハンマドをロンドンに来させるのは、重要な外交作戦だった。
イスラエルによるガザの出入国管理は不信だらけで、彼はドイツ大使館のエスコ
ートによって辛うじて出国することができた」と書いた。

 ※訳註: ダール・ジャマイル(左)とジョン・ピルガー(中央)、オメル(
右)の写真
 http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/_gl_images_/__tn_Dahr_Jamail_and_Mohammed_Omer.jpg

 そして授賞式のあとには、さらに困難な帰国旅行が待っていた。

 私の場合の問題は、せいぜいアメリカに帰国する航空便が1時間遅れる程度の
ことだった。

 オメルは帰郷する途上で、イスラエルの治安部隊シンベトによって、ひどく殴
打され、肉体的にも精神的にも虐待された。ヨルダンから西岸に入るアレンビ橋
を渡る際、彼はガザまで同行してくれるドイツの外交官と合流した。オメルがイ
スラエルの建物に入るとき、ドイツ人外交官は外で待った。オメルは携帯電話を
とりだして電池を外すように言われた。彼が大使館の同行者に電話したいと告げ
ると、それは認められないときつく言われた。

 シン・ベトの将校が彼の荷物を点検し、すばやく書類を捜した。彼はオメルに
、「金はどこだ?」と尋ねた。もっているイギリスの通貨はどこなんだ?」。彼
らはオメルの賞金を没収したかったのだ。オメルは利口にも賞金を身につけてい
なかった。

 オメルはシン・ベトの武装した将校8人に取り囲まれた。次いで何が起こった
のか、彼は以下ように書いた。

 「アビと呼ばれた男が私の衣服をつかんだ。私は既にX線検査を通過していた。
下着を脱がされ、身につけたものをすべて外すよう命令された。私が拒否すると
、アビは持っていた銃に手をかけた。私は叫んだ−−『なぜ、こんな目に遭わせ
るんだ? 私は人間だ』。彼が応えた−−『これからのことと比較すれば、なん
でもないさ』。彼は銃を手にして私の頭に突きつけ、全体重で私にのしかかるよ
うにして、私の下着を剥いだ。別の男が笑いながら、『なぜお前は香水を持って
るんだ?』と言った。私は『それは愛する家族への贈り物だ』と応えたが、彼は
『自らの文化に愛着をもっているのか?』と言った。」

 「私は12時間、ずっと食事も水も与えられず、トイレにも行くことができず
、立たされたままで、足が曲がってしまった。ヘドを吐いて意識を失った。覚え
ていることは、彼らのうちの1人が、私の目の下の柔らかい肉に爪を立ててかき
むしったことだけである。彼は私の頭を抱え、頭と鼓膜のあいだの神経のあたり
に指を突き立てたのだった。2本の指を突き立てられると痛みは鋭いものになっ
た。別の男が戦闘用のブーツで私の首筋を踏みつけ、固い床に押しつけた。私は
1時間以上も横たわっていた。部屋中が痛みと怒鳴り声と恐怖の入り混じったも
のとなった。」

 穏和な肉体的圧力

 イスラエルの最高裁は、収容者に対する尋問に、「穏和な肉体的圧力」を加え
ることを認めている。イスラエルは1万人以上のパレスチナ人を拘束しており、
その大部分は政府の拘禁施設に入れられている。(起訴事実をまとめた資料もな
いまま、拘束は6ヶ月ごとに更新される)

 ジュネーブ条約(第4条約、1949年)は、次のように規定している。1)
現に敵対行動をとっていない者は、武器を手放した武装勢力メンバーおよび疾病
、負傷、拘束などなんらかの原因によって戦闘能力を失った者を含めて、人種・
皮膚の色・宗教または信仰・性別・出自・財産・その他の規準によって不当な差
別を受けることなく、人道的に処遇される環境に置かれるべきである。最後に、
上述した人物への敬意をもって、以下の行為はいついかなるときも禁止されてお
り、また禁止されるべきである。a)生命及び人体への暴力、とくにあらゆる種
類の殺人、b)切断や残酷な待遇と拷問、c)個人の尊厳を侵すこと、特に辱め
及び屈辱的な処遇。

 イスラエル軍は恒常的にパレスチナの救急車を爆撃したりスナイパーに狙撃さ
せたりしている。1949年のジュネーブ条約第20条は、次のように規定して
いる。「民間病院の運営・管理に正規および一時的に従事している者は、傷病者
・弱者及び妊婦の捜索・収容・輸送・看護に従事している者を含めて、尊重され
保護されなければならない」。

 イスラエルはガザを封鎖し、そこに住む150万人のパレスチナ人を孤立させ
飢えさせている。イスラエルのオルマート首相の顧問をつとめるダブ・ウェイス
グラスは、「その方針はパレスチナ人を餓え死にさせるためではなく、ダイエッ
トさせるためのものである」と言い放った。

 1949年のジュネーブ条約第23条は、「各締約国は、他の締約国(それが
敵国であっても)の民間人を対象にした宗教行為に必要な物資及び病院の貯蔵品
・医療用輸送貨物のすべてを自由に通過させることを許さなければならない。締
約国はまた、15歳以下の児童と妊産婦に宛てられた不可欠の食料品・衣服・栄
養剤といった輸送貨物のすべてに自由通過を認めなければならない」と規定して
いる。

 イスラエル政府はヘブロンにあるパレスチナ人の児童擁護施設を閉鎖すると脅
したが、これもまたジュネーブ条第24条に明確に規定された国際法への違反で
あろう。「紛争当事国は、戦争の結果として家族から離散あるいは孤児となった
15歳以下の児童を保護するのに必要な措置、そしてあらゆる場合において、彼
らの扶養と宗教心の育成ならびに教育が促進されるのに必要な措置をとらなけれ
ばならない。彼らの教育は可能な限り同じ文化的伝統を身につけた人物に任せら
れなければならない」と定められているからである。

 シン・ベトはオメルへの処遇においてジュネーブ条約の原則に数多く違反した
。保護された人物の地位と処遇について述べた1949年のジュネーブ条約第3
編は、第1章第27条において、こう規定している。「保護された人物は、あら
ゆる場合において、彼らの人格・名誉・家族の権利・宗教的な信念と実践そして
彼らの礼儀作法と習慣が保護されなければならない。彼らはあらゆるときも人道
的に処遇されなければならず、特にあらゆる暴力や脅迫行為から、そして侮辱と
好奇心にさらされることから保護されなければならない」と。同じ章の第29条
はこう述べている。「紛争当事国は、そのもとに保護された人物がいるとき、起
こりうる個人の責任にかかわりなく、その機関によって彼らに適した処遇がなさ
れることに責任を負うものとする」。

 アメリカからの支援のおかげでイスラエルが優勢に立つ力の不均衡が、これら
の残虐行為を可能にしている。しかし絶対的な優勢は絶対に腐敗堕落する。If
Americans Knew
の重役アリソン・ウェアによると、パレスチナ人はアメリカがイスラエルに提供
する援助額の23分の1しか受け取ってない。

 Defence for Children Internationalによると、イスラエルは「国際的な人権
・人道法にひどく違反」してきた。1967年から2003年までの機関に、イ
スラエルは1万以上のパレスチナ人の住居を破壊し、それは今も続いている。

 ジャーナリストを攻撃することは、今に始まったことではない。4月16日に
は、ロイター通信と契約していたパレスチナ人カメラマン(ファデル・シャナア
)が、イスラエル軍のガザ侵攻中にロケット弾で殺された。彼の助手ワファ・バ
ルバクもひどく負傷した。2人とも「プレス」の標識をはっきりと掲げた車両に
乗っていた。このことはイスラエル軍によってジャーナリストが系統的に標的に
されていることを示している。2000年9月に第二次インティファーダが始ま
って以降、イスラエル軍は少なくとも9人のジャーナリストを殺害し、そのなか
にはイタリア人とイギリス人も含まれている。その外にも、同じ期間にイスラエ
ル軍によって170人のジャーナリストが負傷させられた。

 元ドイツ人大使ジャン・ウィエンベルクはオメルの身に起こったことについて
、次のように語った。「これはいかなる意味においても、偶発的なことではなく
、パレスチナ人の社会・経済と文化的生活を破壊しようとする長期戦略の一環で
ある。私はモハンメド・オメルが近い将来にイスラエル軍の狙撃兵か爆弾攻撃に
よって殺されるかもしれない可能性を感じていた。・・・(オメルは)暴力を緩
和し、イスラエル人への嫌悪ではなくイスラエルとの和平を模索するよう、パレ
スチナ人の若者に呼びかけてきた。

 『Middle East Affairs』に掲載されるワシントン・レポートにはオメルも寄稿
しているが、その編集責任者ジャネット・マクマホンは、オメルはまだ入院中で
あると話した。「彼は退院するかもしれないし、手術を受けるかもしれない。彼
はまだたいへん痛がっていて、飲みこむこと、あるいは深く息をつくこのが難し
い。それで彼は点滴を受けている」。

  私は経験の違いを埋めることができない。正義もへったくれもなく対立する
者と、どうして和解することができようか?

 ※訳註: ルモンド紙に掲載されたダール・ジャマイルのレポート
 http://mondediplo.com/2008/07/16palestine



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☆★ありがとう&お願い
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 6月初からDVD『イラク・レジスタンスからのメッセージ』を有償頒布して
きたところ、多くの人々から注文をいただき、また少なからぬ方々から併せてカ
ンパをいただきました。あらためてお礼申し上げます。

 引き続き頒布しておりますので、宣伝・普及にご協力をお願いします。



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